就活。それは当時大学3年生の私にとって得体の知れない不気味なものだった。それを前にした私は何もできずただ恐怖に慄くしかなかった。

志望する業界や仕事もなかった。面接の結果はほとんどが不採用だった

人並みにしていた勉強は図抜けた成績ではなく、サークル活動もゼミもそこそこで過ごしていた私には「ガクチカ」つまり「学生時代に力を入れたこと」など思いつかなかった。
「学生時代はバイト先のカフェで進んで業務改善に取り組み、フロア見回り時にポイントを見逃さないようにチェックリストを作成したり、新しいバイトがタスクを効率的に覚えられるようマニュアルを作成したりして浸透を図りました」
ガクチカはこれ1本で勝負することに決めた。

自己アピールとして嘘ではない。他のバイトの学生と比べれば当時はだいぶ真面目に仕事をこなしていた自負があるし、作成したマニュアルやリストも他のバイトの間で好評だった。
ただ当時のバイト先には2年勤務したわりに大した思い入れがあったわけでもなく、今となってはなぜそのエピソードを選んだのかすら覚えていない。

そんなありきたりなガクチカを述べると面接官は決まって、「そういう学生、多いんだよね」とでも言いたそうに苦笑した。

志望する業界や仕事もなかった。漠然と自分の今まで育った環境や社会に対して恩返しがしたいと思っていたから、「社会貢献がしたいと思っています!」とひたすら熱意を語っていた気がする。

面接の結果はほとんどが不採用だった。1つ不採用通知が届くと、5日間は家から一歩も出られないほど落ちこんだ。失敗した次の面接では、面接官に嘲笑されている気すらした。家から出られず面接を辞退したこともある。
何社かは最終面接まで進んだにも関わらずダメだった。そのうちに自分の持ち球は減り、そしてついに一社もなくなった。

一旦就活を辞めよう。誰も自分を知らない場所でもう一度やり直そう

周りの友人は次々と志望した会社に就職を決めていた。就職先の決まらない私に母は激怒し、父に「あんたのコネでこのバカ娘の就職先を見つけられないの!?」と言い放った。
私は部屋に籠りきりになった。部屋で採用情報を検索する手も次第に止まった。涙が止まらなくなった。

就活を続けるのは無理だと悟った。
一旦就活を辞めよう。両親に土下座をし、進学できるだけの費用を貸してもらった。
誰も自分を知らない場所でもう一度やり直そうと思った。

働くことを怖がらなくていい、当時の就活生だった私に伝えたい

あれから5年ほどの月日が経った。私は3年前に無事社会人となり、とあるIT系の企業で働いている。
会社名を言うと当時を知る友人に驚かれるほどで、5年前の私だったら全く及びもしないような恵まれた会社だ。両親に借りた進学費用も全額返済し、今ではちょっとした親孝行もできるようになった。

自分の仕事が社会に貢献しているとは微塵も思わない。たかが入社2、3年で社会に影響力があるほどの仕事を任されるわけがないから当然だ。
でも、あのとき一つも内定を貰えなかった自分にも任せてもらえる仕事があるのだから、どんな仕事も丁寧にこなすようにしている。

仕事は大変だし、嫌なことも多い。お金を貰っているのだから当然だ。
でも、一仕事終えたときのちょっとした達成感や、自分のスキルが上がったときの喜びもある。大学時代のカフェのアルバイトだって大変なことばかりだったけど、バイト後にまかないを食べている時間は至福だった。
そんなちょっとした楽しみのために仕事をするのも良いじゃないか。

いま思えば、大学3年の私は、社会人になった自分を、朝から晩まで自由がなく上司の言う通りに働かされる奴隷のように想像していた。あのリクルートスーツの群れの中にいる自分が、いずれ社会の駒として誰かに支配されてしまうかのような恐怖を覚えていた。

だが、いま実際に社会人として働く私は、自分で稼いだお金を自由に使い、仕事を利用して自分のスキルアップを図り、定時に帰れるように業務を工夫し、上司に怒られることもあるがたまには褒めてもらえることもある、そんな生活を送っている。

それはもちろん、自分の意見を受け入れてくれるような職場に恵まれたことも一因であるから感謝しているし、今後は自分が新入社員の意見を聞けるような人間になりたいと思っている。
そしていつかは、社会人というワードから連想されるマイナスイメージすらなくなるくらい、自由な社会人像を作っていける側の人間になりたい。

もしいまの自分が、当時の就活生だった自分に会えるなら、こう伝えたい。
「色々な社会人がいて、選択肢は無限にある。働くことを怖がらなくていい。辛くなったら一度やめてみてもいい。自分の人生、自分で責任を持って進んでいきなさい」