お元気ですか?
彼女に送る手紙はいつも、同じ一文から始まった。
「面白そう」に躊躇しない、好奇心旺盛な彼女が大好きだった
実家から2時間ほど車を飛ばした、ほのかに潮の香る町、そこに彼女は住んでいた。
彼女は常に自分を生きていた。
若き日の郷愁に心揺れる事も、空虚感に囚われる事もあっただろう。それでも確かな今を、地を踏みしめて歩んでいた。
私は今も、彼女に憧憬を抱いてやまない。
好奇心旺盛な彼女。
トンネルに光るライトの数を一緒に数えたり、スーパーで手に取った食品の原材料を頭並べて覗き込んだ。
何事も実践派な彼女は、「面白そう」を原動力に「億劫」というハードルを軽々と飛び越えて、些細なことも試行した。時には成功しないこともあるもので、テレビで見て作ってみたという、お麩を使ったきな粉餅もどきは、幼い私の味覚には合わず、そっと箸を置いたのだった。
いつも新鮮を与えてくれる彼女が大好きで、会えた時には別れが惜しくて泣きじゃくり、会えない時には手紙を出し続けた。
そんな愛してやまない大伯母は、私が18歳の冬季、膵癌で亡くなった。
受験期で思うように手紙も出せず、会うこともままならない時分だった。
憧れの彼女を前に、「分からない」ことを素直に認められなかった
悲しいかな、歳を重ねる毎に多くの人は「分からない」を言えなくなっていく。
幼少期より、同年代の子達より沢山のことを知っているつもりだった私は、子供ながらにして頭でっかちだった。そんな私にとって、今も忘れられないエピソードがある。
当時小学生だった私は、ひたすらに読書が好きで所構わず本を読んでいたのだが、大伯母が実家に泊まりに来ていたある夏のことだ。
テーブルに置かれた、私の読みかけの本を手に取り「すごいねえ、こんなに難しい本が読めるんだねえ」と言った彼女の次の一言に、私はとてつもなく焦った。
「この字はなんて読むの」
「殿下」という文字を指差した彼女にそう訊かれ、「でんか……いや、思い込んでただけで違う読み方かもしれない……」。
頭をぐるぐる駆け巡る私の中の私達の会話。動揺して本を取り落としてしまい、結局うやむやになってしまった、ほろ苦い思い出だ。
自信がないのならば、素直に訊けばよかったのだ。その好奇心が故に、知識の宝庫のような権化がそこにいたのだから。
彼女の身近にいた私は知っていたはず。知らないことはチャンスだと
当時から辞書片手に読書していた私だが、この一件以来、心に留めていることが2つある。
曖昧をそのままにするべからず、そして「分からない」を伝えるべし。
大人になった今でも、やはり時に知ったかぶってしまうが、そんな自分に気がつくたび戒めにしている。
彼女を見てきた私は知っているはずだ。未知は既知へのチャンスだと。
奇しくも私は今、海に程近い街に住んでいる。窓を開けると、かすかな潮の香りがふわりと鼻をかすめ、思い出す。
彼女が生きた、港に近いあの町を。彼女が存在した証が、私の中に確かにあることを。
彼女が亡くなってはや、十余年。出せなかった手紙は今も私の中で積もり続ける。
おばちゃん
お元気ですか?
私は元気です。