「私が若い頃に着てた服、着てみる?」
そんな母のひとことで突如として始まった、母と私ふたりきりのファッションショー。舞台は華やかなランウェイ、ではなく実家の和室。
よくある木製の洋服箪笥の中からは、母が若い頃に着ていた洋服たちが、次々と飛び出してくる。
20年以上前に着ていた母の洋服たちは、魅力的に感じるものばかり
“流行は繰り返す”というのはまさにその通りで、20年以上前に着ていたという洋服たちは、今現在の私が見てもとても魅力的に感じるものばかりだった。
確かにデザインそのものは古いのかもしれない。ただ、その古さが「レトロ」で「ノスタルジック」で「エモい」、最先端のもののように感じさせてくれるのだ。
最初に目に留まったのは、ミントグリーンの色をした、ジャケットとミニスカートのセットアップ。ハンガーに掛かるジャケットの下には、一緒に白のリボンタイブラウスも添えられていた。「まずはこれから着よう」と思い、真っ先にそれを手に取った。
すると、母は「それは、パパの家族に結婚の挨拶をしに行く時に着た服でね……」と話し始めた。その後も、私が手に取った洋服を見ては、母はひとつひとつ丁寧に思い出を語ってくれた。
父と母は、大学時代にアルバイト先で出会った。20年以上が経った今でも、アルバイト先での出来事や、ふたりで行った場所、一緒に食べた料理などの思い出話をしているところをよく見かける。
ただ、「これ覚えてる?」と話を振るのはいつも決まって父の方で、母はそれを「そんなことあったっけ?」と笑いながら返していることが多いのだ。
まぁまぁ大きなイベントごとでさえ忘れていたりする。だから今回、父との思い出をスラスラと語り始める母には少し驚いた。
誰かの思い出を重ねて感じることで、その瞬間を無性に愛しく思える
懐かしそうに語ってくれる母の表情は、単純な言葉では表しきれないような、なんとも言えない暖かいものだった。そんな母を横目に次々と着替えながら、「きっと父が母との思い出を場所や味と関連づけて覚えているように、母は洋服と思い出を関連づけているのだろうな」と考えた。
その瞬間に目の前の洋服たちが無性に愛おしくなった。私とその洋服たちの間には一つも思い出なんてないはずなのに、だ。
ここ数年、純喫茶や写ルンですなど、少し古くて歴史を感じさせるものが若者の間で流行している。私も実際にその懐かしさに惹きつけられている若者の一人だ。
では、なぜ私はこんなにもそれらに惹きつけられるのだろう。それはきっと、そこに誰かの思い出を重ねて感じることで、自分もその瞬間を無性に愛しく思うことができるからではないかと思う。
今回の出来事で感じた感情の正体も、きっとそれなのだろう。箪笥の中に眠っていた洋服たちを身に纏ううちに、母の思い出がまるで自分のものであるかのように錯覚したのだ。流れてくる記憶は、とても暖かくて優しくて、誰かに言って回りたくなるような誇らしいものだった。
今の私と同年代であった当時の母を想像して、なんだか微笑ましい気持ちに
今回、母のひとことがきっかけで開催されたふたりきりのファッションショー。私がまだ10代の頃だったならば、思い出を語る母を見ると恥ずかしくていたたまれない気持ちになっていたかもしれない。
けれど21歳になった今は違う。今の私と同年代であった当時の母を想像して、なんだか微笑ましい気持ちになるのだ。それは私が少し大人になったから……だと信じたい。
喫茶店で誰かを待ちながら食べるナポリタンの味も、旅先で一か八かでフィルムカメラのシャッターを切る緊張感も知らない。知らないけれど、どこか懐かしいと感じることができる。ただ、自分の人生を振り返るにはまだ経験が浅すぎるのだ。
だから、もうしばらくは誰かの「懐かしい」を拝借させてもらおう。