「難しいことは分かっているけれど、ずっと目指していた大学を受けたいです」
高校3年、1月。「E判定」と書かれたセンター試験の自己採点表を目の前に、先生と両親に向かってそう伝えた。

この時の私は、もうあとは二次試験、限界を飛び越えて頑張るしかない、やってやる!という思いに満ちていた。

受験勉強を止めることが不安だった。夜、眠れないほど涙を流した

前期、中期、後期と3回試験を受けることにした。前期が私にとっては僅かながらも合格の可能性が他より高く、中期、後期と後半になるほど厳しいものであった。倍率も後期程高かった。

前期、中期の試験科目は数学と英語。後期は小論文である。どれも合格のためには8割以上の得点率が求められる。どんなに現実の厳しさを感じても、勉強の不安は勉強でしか解決ができないと思っていた私は、厳しい現実を根性で乗り切ろうとしていた。

そんな思いから始まった前期試験までの毎日は、過去問をひたすら解いていた記憶と眠れなかった記憶しかない。勉強を止めると不安に押しつぶされて涙を流してしまうから、夜になり布団に入ることが怖かった。

一度不安に陥るとなかなか涙が止まらなかった。頭が痛くなるまで泣いたこともあった。それでも、不安な思いを誰かにこぼすことはしなかった。言葉にしたら、それが現実になるような気がしていた。

毎日は流れるように過ぎ去って、あっという間に前期試験当日がやってきた。とにかく心を落ち着かせようとしたが、全く落ち着かない。試験監督の「始め」の言葉を聞き問題を開いた時、自分に「大丈夫」と言葉を掛けた。

しかし、落ち着いて英文を読めない。なんだか違和感のある数字ばかりが答えになる。「残り10分」という言葉にとてつもなく焦り、「止め」という言葉を聞いた瞬間、これはダメだろうと心の中で思ってしまった。

午前で試験は終わったから、昼食に有名なパスタ屋さんに親と行った。味がしなかった。
その数日後には卒業式があったが、卒業式の次の日には小論文の添削をしてもらう予定があり、学校に行かなくてはならなかったし、前期日程の合格発表も近かった。卒業に思いを馳せる余裕なんてなかった。

中期試験の勉強と後期の小論対策をする日々を数日過ごし、いよいよ前期日程の合格発表の日になった。発表の数分前から待機をし、部屋で一人静寂にいる時間はまるで試験前の「始め」の合図を待っている時のようだった。

試験はあと2回。試験を終えても、手応えも開放感も全くなかった

番号は、なかった。突き付けられた現実に涙が溢れた。
切り替えて中期試験の勉強をしなくては、と思っても涙は止まらない。

もしあと2回の試験がダメなら、色々な意味でどうなってしまうのだろうか。残り2回の試験、受かる希望は僅かだけど、そもそも受けないことには受かる訳もない。ほんの数週間、勉強する期間が長引いたっていい。そう思っていたけれど、長引いたのは涙を流す期間だった。

不安に耐えた、とも言えない日々を2日程度過ごしたら、中期の試験日になった。試験開始の合図までの静寂がとても苦痛だった。

試験が始まり問題を解くが、なんとまあ難しい式。逆に冷静になってしまい、じっくり見ていき、最大限式を脳内で解析した。
「止め」の言葉を聞いたその瞬間から疲労を感じた。あとは、後期日程。試験前の静寂の経験もあと1回だ。

中期の発表は後期の発表日と同じ、つまり暫く先であった。今度は小論対策のテキストと原稿用紙を眺める日々を送った。またあっという間に試験日は来た。

試験会場に到着し、席に着いた。後期だから空席も目立つ。それでもこの教室の人数からして、倍率は4倍くらいはありそうだ。更に別教室もあるし……。

試験監督が問題を配り、時計を見つめる数分間の静寂の中にいた時の記憶は、今はもうない。
また、試験はいつの間にか終わっていた。手応えは何一つなかった。

これで全ての試験が終わったが、解放感も全くなかった。1か月後の私はどんな生活をしているのか。先が分からないという恐怖もあり、更には1週間後にそれが分かってしまうことはもっと怖かった。
でも当たり前にまた、その時はやってきた。

合格発表の時間になったが、怖くて結果を見ることができなかった。気持ちを落ち着かせて自分のタイミングで結果を見よう。

そう思っていると、携帯に1通のメッセージが届いた。母からだ。
「中期、ダメだったね」
体の力がスっと抜けた。するとまた、通知が来た。今度は写真が送られてきた。それに続けて、
「後期は受かってる?」

あんなに見たくなかったのに、通知に一瞬表示された画像から何となく見覚えのある数字の羅列が脳内に映った。食らいつくように母から送られてきた画像を開いた。

本当の最後まで粘った。E判定でも諦めなかった自分が誇らしかった

番号が、あった。一人家の中で叫んだ。どうして。

この状況を目指して、これまで頑張っていたはずなのに、何が起きているのか実際は全く理解できなかった。何度も画面と受験票を見比べた。間違いない、私の番号だ。

E判定だった。涙を流してしまった時間も今思えば山ほどあった。
3回の試験、ライバルが沢山いて、私に僅かな希望があるかないかという中。後期試験に手応えもなかった。

不安と常に隣り合わせでも、絶対に諦めなかった、そして辿り着いた先でも私は涙を切り離せなかった。最後は笑うはずだった。でも、本当の最後まで粘った。限界という区切りを付けなかった。時間の許す限り自分に正直に向き合って戦えた。
そこに何よりも自分を誇らしく思えた。自分の強気な部分を信じることができて、本当に良かった。

あの時の私へ。大学2年生も後半。あの時頑張ってくれた私のおかげで、ずっと行きたかった大学で沢山の素敵な人たちに出会うことができました。
あなたがどこかで妥協したら、今こうしてあなたのことを懐かしく書き綴ることができる今の私は、多分いません。

「難しいことは分かっているけれど、ずっと目指していた大学を受けたいです」
そう宣言してくれた高校3年生の私、本当に大好きだよ。ありがとう。