今年の9月、久しぶりに実家へ帰省した。家族が笑顔で出迎えてくれた。8月にできなかった、毎年恒例のプチ花火大会をした。
手持ち花火をしながらニコニコしている祖母と、子どものように無邪気に笑う母。私はそんな2人の様子を写真や動画に収めた。祖母の誕生日が近かったので、誕生日プレゼントを渡すととても喜んでくれた。
その後、祖母に人生相談をした。
「自分の人生だから悔いのないように頑張りな」
泣きながら話す私を、祖母はそう言いながら励ましてくれた。

強くて優しくて、みんなから信頼されている「祖母」に私は憧れていた

もし戻ることができるのなら、あの日に戻りたい。なぜなら、私にはとても後悔していることがあるから。
思えば、まだ半分にも満たない私の人生は、すでに「たられば」だらけだった。主に学生時代のこと。人間関係や恋愛など、「ああすればよかった」と後悔していることが山ほどある。
そんな「たられば」話をしてしまう私に、祖母はいつもこう言っていた。
「過去は変わらないんだよ。だから今を、これからを見なきゃ」

社会人になって、私はこの言葉を胸に日々努力をした。だから、人として変わることができた。祖母は他にもたくさんの言葉で、人生において大切なことを教えてくれた。
私は祖母を心の底から尊敬していた。御年83歳にして、現役の美容師。とにかく手先が器用で、特に洋裁が得意。よく私のためにワンピースやスカートを仕立ててくれた。
着ると友人や会社の人に「どこで買ったの?」と聞かれ、祖母の手作りだと言うと誰もが驚くほどの出来だった。

弱音を吐かないしっかり者で、大抵のことは自分でできてしまう。その反面、少し抜けていて何か間違えるたびに恥ずかしそうに笑う。
おばあちゃん子の私は、そんな祖母が大好きでいつも憧れていた。強くて優しくて、みんなから信頼されている祖母のようになりたいと思っていた。

私が泣きながら相談しなければ、祖母の病気を早く知ることができたのに

そんな祖母が、末期のすい臓がんだと診断された。あの日、祖母は私にそれを伝えようとしていた。
しかし、精神的に不安定な私を見て、祖母は話すことができなかった。次に帰省したときに話すことにして、私を笑顔で東京へ帰そうと決めたそうだ。

そして、1ヵ月も経たないうちに、祖母は寝たきりの状態になってしまった。数日前まで美容室でお客さんの髪をカットしていたが、突然のことで祖母本人も驚いていた。
もしあの日、私が泣きながら相談なんてしなければ、がんのことを早く知ることができた。そうすれば、祖母が動けるうちに恩返しができていたかもしれない。私がもっと心の強い人間だったら。そう思うたびに後悔し、涙が止まらなくなる。

「祖母と時間」を大切にしながら、自分にできる恩返しをしていきたい

そんな「たられば」に苦しみながらも、私は今、現実を受け止めようとしている。5日間の帰省中、祖母がつらそうにしている様子を見るたびに泣いてしまっていた。
東京に戻っても悲しい気持ちでいっぱいだが、これからのことを考えようと思う。祖母と過ごせる残りの時間を大切にしながら、自分にできる恩返しをしていきたい。