「じいちゃん、ばあちゃん、こんにちは!」
父方の祖父と祖母は実家の近くに住んでいたため、小さい頃はよく遊びに行っていた。
「あのね、今度運動会があるの。応援に来てね!」
幼稚園や小学校の運動会や学習発表会には必ず来てくれて、父や母とともに孫の晴れ舞台を応援してくれた。
しかし祖母の体が徐々に悪くなっていき、遠出ができなくなってしまった。そのため外出することが滅多になくなり、私が中学生になったころからは学校行事に姿を見せることはなかった。
必ず頑張る自分の後ろには両親と祖父、祖母がついていることが当たり前になっていたため、両親しかいない学校行事はさみしさを感じた。
そのさみしさを紛らわすように、私は学校帰りや休日にこっそりと祖父と祖母の家に行き、学校であったことを話すようになった。
私が家によると毎回祖母が手作りの料理を出してくれ、私は晩御飯前なのに口いっぱいに頬張り、日によっては母の晩御飯を食べなかったことがある。私は祖母が作る料理が大好きだった。
祖母が作った具沢山の煮物を食べ、祖父と3人で過ごす時間が大好き
その中でも一番心に残っているのは「煮物」の匂いだ。祖母の煮物は具沢山で出汁がきいている。油揚げ、ゴボウ、里芋、椎茸、大根、筍、ニンジン、麩、舞茸……今思い出せるだけでもこんなにたくさんある。
毎回祖母が深皿いっぱいに盛り付けられた煮物を茶の間に持ってきた瞬間、煮物の匂いで部屋中がいっぱいになる。私は祖母の煮物を視覚と、嗅覚と、味覚で堪能していた。食べる度に「ばあちゃんの煮物は世界一!本当においしい!」と絶賛していた。祖母はそれを聞いて笑顔で私の煮物を頬張る姿を見ていた。
逆に口数が少なかった祖父は焼酎を片手にテレビに夢中だった。私はこの3人で過ごす時間が大好きだった。
そんな日が永遠に続くと思っていた高校3年の七夕の日であった。かなりの大雨で父に学校まで迎えを頼もうと電話した時だった。
「ごめんな。じいちゃんが病院に運ばれて今俺も病院にいるから電車で帰ってきてくれねえか」
私は体が固まった。じいちゃんがなんで?嘘だよね?
私は大雨の七夕の空に向かい願い続けた。
「お願い。じいちゃんを助けて!」
そんな私の願いは届かず、祖父は永い眠りについた。父によると、木に登って作業をしていたら落下してしまい、血が止まらなかったらしい。
帰省するたびもらう煮物の香りは私を包み込み、幸せな気持ちに
祖父を亡くした祖母は以前に増して外出ができなくなってしまった。祖父が運転をして祖母を買い物に連れて行っていたが、連れていく人がいなくなってしまったからである。
そんな祖母を見て私は以前にも増して家に遊びに行くようになった。料理の材料は父が代わりに買ってくるというおつかい形式をとるようになった。だから私は引き続き祖母の煮物を食べることができたのである。
大学生になり、県外の大学に進学をし、祖母の煮物が恋しい日々が続いた。だから帰省するたびに祖母の家に行き煮物を作ってもらい、戻るときにはタッパーいっぱいに煮物を詰めてもらっていた。
タッパーを開けた瞬間に香る煮物の香りは、一瞬で私を包み込み、部屋に充満し、私の心を幸せな気持ちでいっぱいにしてくれた。
コロナ禍で会うことも叶わず、会いたい気持ちを募らせるばかり
社会人になり、出身県に就職はしたものの、そう近いところには住んでいなかったことやコロナ禍のためにますます会える頻度が少なくなっていった。
そんな矢先のこと、父からある連絡が入った。
「ばあちゃんは入院していて年齢的にもう手術はできないから、残された時間はそんなに長くない。心配すると思って黙っていたんだ。ごめん」
私は凍り付いた。ばあちゃんが死ぬ?ありえない。
コロナ禍のせいで入院している祖母に会いに行くことはできない。医者に面会が許された父が何回か祖母との面会の様子を動画で送ってきてくれたが、私はそれだけでは満足できず、会いたい気持ちを募らせるばかりであった。
しかし、そんな私の願いもかなわず、祖母は永眠した。89歳だった。
祖母の通夜と葬式のため、仕事を休み祖母の家に向かった。玄関のドアを開けると、今までは意識してこなかったやさしい匂いに包まれた。
家の匂いであった。思い出の中には煮物の匂いが深く残っていたが、今こうして祖母の家の香りに気づくことができた。
「ありがとう」。思い出が詰まった家の匂いを嗅ぎ、つぶやいた
祖母は茶の間の隣の寝室にいた。まるで寝ているかのようだった。線香をあげ、台所を覗き込んだ。ここで祖母は絶品の料理の数々を作っていたのだ。そう、あの煮物も。祖母がニコニコしながら料理を作っていた姿を思い浮かべたら涙があふれた。
出棺の時、私は何度も祖母に声をかけた。
「ばあちゃん、ありがとう。本当にありがとう」
数週間後、家主を亡くした祖母の家の取り壊しが決定した。私はふと祖母の家の香りを思い出した。
「取り壊し前に行かなきゃ」
取り壊しが始まる一週間前、私は祖父と祖母との思い出がたくさん詰まった家にさようならを言いに来た。胸いっぱいに家の匂いを嗅ぎ、つぶやいた。
「ありがとう」
祖母の煮物は二度と食べることができないし、もちろん匂いを楽しむこともできない。同じく家の匂いも嗅げない。
しかし、それらは永遠に私の心の中で生き続けるであろう。
じいちゃん、ばあちゃん、これからは空から見守っていてね。
またいつか、そっちで。