おいしいものを、心からおいしそうに食べること。
それが私の一番自慢したい私だ。

「おいしそうに食べるね」
私がかけてもらえる言葉第1位。
おいしいものに本当に目がなくて、朝起きてから夜眠るまで、その日に食べるもののことばかり考えている。食いしん坊の典型例だ。
おいしいものを口に入れておいしそうな表情をしない、なんてできない。
おいしさは顔全体で、体全体で表現したくなる。
こんな自分が恥ずかしくなったこともあるけれど、自慢したい私ってなんだろうと考えた時に真っ先に浮かんできたことだった。

おいしいものを頬張っているとき、自分の感情に一番素直になれる

私は幼い頃から、周りの人より食べることが好きだ。
一歳半で豆腐を一丁食べていたほど。
見たことない食べ物には果敢にチャンレンジしたいし、自分が美味しいと思ったものは何度でも食べたい。
どうにかして、このおいしさを誰かに伝えたいと思う。
おいしいものを口にしている時は、嫌なことを全て忘れられる。
自分の感情に一番素直になれるのは、おいしいものを頬張っている時だ。
目の前の食べ物に真っ直ぐに向き合うと、自ずと自分の中の心のモヤモヤも忘れて、おいしいという感情だけに真っ直ぐになれる。
その時の顔は、自分の一番素の状態だと思う。
だから「おいしそうに食べるね」は私にとって最高の褒め言葉なのだ。

おいしいものをおいしそうに食べる私のルーツには、母がいる。
幼い頃、私が食べたいと言ったものを覚えておいてくれて、食べたいという願いは、ほとんど叶えてくれた。

私の一部には、食べたいものをいつも作ってくれる母の愛情がある

「何食べたい?」という母の言葉は、母に愛されているということをいつも私に教えてくれる。
中高6年間、ほとんど毎日作ってくれていたお弁当にも、私が食べたいというリクエストがいつも反映されていた。今でも覚えているのは、母の作るエビチリ。味がはっきりしていて冷めてもおいしいそれは、お弁当にはピッタリだった。
それ以外にも大好きなものはたくさんあった。好きなものがお弁当に入っているだけでその日1日なんとか頑張ろうと思える。
生きる=食べる、だ。おいしいなあ、と思って口にして、おいしいなあと思いながら食べ終えるだけで1日が良いものに思える。
お弁当を食べる時、母の愛情も一緒に口にしている気分になっていた。
体調を崩した時は、尚更その優しさが沁みる。どんなに体調が悪くても基本的に食欲だけはある私は、ここぞとばかりに自分の食べたいものをリクエストする。
驚くことに、リクエストしたもの全てが私の目の前に現れるのだ。
その度に嬉しくて、恥ずかしくて、ありがたい気持ちになる。

母がくれる、食べたいものを覚えておいてくれるという愛情が、おいしいものを、心からおいしそうに食べる、私の大好きな私の一部につながっているのだ。
その自慢したい私を思い出すたび、一人では生きられないことを思い出す。
これからもおいしいものは、自分の体を全部使っておいしさが伝わるように、おいしそうに食べたい。
きっとこの先もずっと、「おいしそうに食べるね」は私がかけられる言葉第1位だ。
そして間違いなく、「おいしいものを心からおいしそうに食べること」はこの先もずっと私が自慢したい私だ。