「ごめん」。久しぶりに話した電話で母はそう言った。
私が大学生活でのストレスで精神的に不調になり、実家で休んでいたときだった。
離婚協議中で別居していた母は、私の体調不良を祖母から電話で聞いたらしい。その不調で精神科を受診していると告げると、母はそう一言謝って「そういうのとは無縁の人だと思っていたから」と謝罪の理由を続けた。
そして私は気が付いてしまった、「お母さんは、私のことを、なにもわかってなかったんだ」と。

「のほほんとしてる」母は私をそう認識していた。母から「のほほんとしている」と言われた記憶は2回ある。
1度目は中学生のころだった。そのころ、名前とはまったく関係ない愛称で「のんちゃん」と呼ばれていた。由来は当時はやっていたインターネットのチャットで「ノゾミ」という名前を使ったことだった。
その由来を知らなかった母は「どうして『のんちゃん』なの、のほほんとしてるから?」と言った。「のほほんとしてるから『のんちゃん』」そう解釈する母はどこか嬉しそうだった。

悪口を言われる現状をいじめと認めたくなくて、母の問いに曖昧に返答

ちょうどその中学生のころ、私は学校の人間関係に悩まされていた。
もともと人と仲良くなるきっかけを掴むのが苦手だった。一度、仲良くなってしまえば話ができるが、仲良くなるにはどうしたらいいのかがわからなかった。いつまでもクラスになじめない私を、中学校という新しい環境は、いわゆるいじめの対象とした。
どうして人は悪口を言い、人を虐げるのか、どうしたらこのつらい状況を改善できるのかと考えた。休み時間は、クラスメイトの話す悪口に耳をすませて、少しでも状況を改善するため、悪口の内容を確認した。
話ができるのは、小学校からの友達だった。その友達も一緒にクラスメイトから悪口を言われていた。
あるとき、その友達の家に遊びに行ったとき、友達の母が私の母にいじめについて話していた。友達の家から帰る車の中で、母に「いじめられているの?」と聞かれた。

私は、そのときの、クラスメイトから悪口を言われる現状を、いじめと断言したくなくて、曖昧な返答をした。
こんな中学校生活は、クラス替えとともに多少状況は変われど、つらい生活であることは変わりなかった。中学校を卒業したときは、ようやく終わったという思いと、高校では二度と同じ状況にしたくないという強い思いがあった。

カウンセラーになりたい夢は、私をよく知る母に反対され諦めた

高校に入学してからは、人と仲良くなるのが苦手なのは変わらないが、悪口などいじめと呼べるものはなくなった。それだけで、私にとって生活しやすい学校環境だった。
けれども、中学校で一緒にいじめられていた小学校からの友達にとってはそうではなかったようで、隣のクラスだった彼女は気付けば不登校ぎみになっていた。
高校2年のときは彼女と同じクラスになり、よく相談を聞いた。そして「あなたに話を聞いてもらうと落ち着く」と言われた。
振り返れば、人の話や愚痴を聞くのは嫌いではなかった。自分自身も中学校から悩みを抱えてきたのだから、同じように悩む人に寄り添いたいという気持ちもあって、将来の仕事を現実的に考えるようになるころ、カウンセラーになりたいと思った。

「それはやめた方がいいと思う」
カウンセラーになりたいという気持ちを伝えたとき、母はそう言った。そして「あなたみたいな、のほほんとした人には向いていないと思う」と続けた。
これが、母が私に「のほほんとしている」と言った2度目のことだ。このとき私は、ずっと私を見てきた母が私をよく知ったうえで言ってくれた言葉だと思い、カウンセラーという将来選択を諦めた。

母の「のほほん」は「心の悩みとは無縁の人」。母は私を何も知らない

「ごめん、そういうのとは無縁の人だと思っていたから」
電話越しに母は、精神的な不調で休養する私にそう言った。「精神的な心の悩みとは無縁の人」とはきっと「のほほんとしている人」だ。母が「のほほんとしている」と言っていたのは、心の悩みと向き合ってきた私のこれまでを、何も知らなかったんだ。
中学校のとき、いじめの有無について母に聞かれたとき、曖昧に答えたけれど、「いじめとは断言できないが、それくらいつらいことがある」ということは伝わったと思っていた。
けれどあのとききっと母は、「のほほんとした娘は、いじめられてるなんて思ってないんだ」と思ったのだろう。高校生のとき、カウンセラーに向いていないと言った忠告も、私を理解してのことではなかったんだ。
母は私のことを何も知らなかったんだ。
電話越しに聞いた「ごめん」の一言は、私の中の認識をひっくり返した。