1997年に生まれた私の小学生時代は、まだランドセルといえば赤と黒が定番だった時代だ。両親も祖父母も「赤いランドセルで小学校に行くの、楽しみだね」と言っていたし、私も自分が赤いランドセルを背負った小学生になるのだと、なんとなく信じていた。

一目惚れした、みんなと違うランドセル。悪口なんて予想済だった

しかし、ランドセルを買うために両親と出かけたデパートで、私はあるランドセルと運命的な出会いを果たしてしまった。当時の感覚は今でも覚えていて、まさに一目惚れという言葉がふさわしい、劇的な感覚だった。

「女の子は赤いランドセルの子が多いんじゃないかな」
「後から皆と同じ赤色がよかったって思うかもしれないよ」
「他のランドセルも見てみよう」
両親は私を説得しようとしてくれた。それでも「どうしてもこれがいい」という私に、お母さんはこう尋ねた。
「みんなと違うランドセルだからって、ひどいことを言う人もいるかもしれない。それでも後悔しない?」
しない、と答えて買ってもらったのは、キャラメル色のランドセルだった。

入学してしばらくは、何事もなく過ごしていた。事件が起きたのは秋頃、ある日学校から帰っていたときのことだ。横断歩道の途中で、「おい」と後ろから声をかけられた。
「お前、1年生?」
「うん」
「そのランドセル、うんこ色じゃん!くっせ~!」
その言葉を聞いたときにまず感じたのは、「なるほど」という納得感。お母さんが言った通り、他と違うものに文句をつける人はいるものなのだなあ、と思った。

短絡的な悪口なんてランドセルを買ってもらったときから予想済。反撃も脳内で何パターンかシミュレーション済だったので、ドヤ顔で言い返してやった。
「でも、そっちのランドセルはカラスみたいな色じゃない」

背中を押されて転んだ。悔しさと腹立たしさで起き上がれなかった

今思えば反撃にもならない返答だ。カラスの羽ってよく見ると綺麗だし。「うんこ色」に匹敵する悪口ではないだろう。しかし相手は、言い換えされたことが不満だったらしく、学年でマウントをとってくる。
「俺は2年生だぞ」
「ふーん」

2年だから何なんだ、と思って無視しようと前を向いた瞬間、背中に衝撃が走る。後ろから押されたんだ、と気がついたときには、横断歩道の縁石に鼻をしたたかにぶつけていた。
やはり2年生には力では敵わないのか。こんなやつに押されて転ぶなんて。押された悔しさと腹立たしさ、何より痛くて泣いている顔を見せるのが嫌で起き上がれなかった。

いつまでも横断歩道でうつ伏せになっている私を救ってくれたのは3年生の先輩で、クラスの田村くんのお姉ちゃんだった。

「1年生に手を出すなんてありえない!」と怒り、私を立たせながら2年の男子を追い払う。ご近所だったので、びいびい泣いている私を家まで送ってくれた。

家に着くと、鼻がずるむけの私を見てお母さんは驚き、慌て、私を抱きしめて少し泣いた。
「女の子なのに、顔に傷なんてつけられて……」
ケガをした自分より悲しそうなお母さんを見て、なんだか私も悲しくなる。

それでも「女の子だけど、男子の上級生に負けなかったよ」と言うと、母は鼻をすすりながら「偉かった!よくやった!」と頭をなでてくれた。

自分の「選択」を悪く言う人はきっといるけど、絶対に味方もいてくれる

タイミング悪く予約をとっていたせいで、この事件から3日後に撮った七五三の写真は、鼻を盛大にすりむいた状態での撮影になった。髪も化粧もばっちり、ピンクの振り袖もしっかり着こなしているのに、鼻だけ大きな傷がある。ちょっと間抜けな写真だ。

それでも私はこの写真を見るたび、自分の選択と上級生に立ち向かった勇気を誇らしく思い出す。そして、どんなに心配でも私の選択を応援してくれたお母さんのことも。

これから先も、私が自分の判断で選んだことを悪く言う人はきっといる。それでも絶対に味方でいてくれる人もいるのだ。そんな人を信じて自分で「選択」できる人間でいることを、私はずっと自慢しつづけたい。