まず最初に、この文章が、お食事中にスマホを触っている方には非常に申し訳ない内容だということを、いの一番にお断りしておく。
しかしアカチャンというのは、時や所お構いなくウンチ・オシッコをする生き物だ。かくいう私もアカチャンの頃は、自分の尻拭いをまるごと、大人に委ねていた。

そして今、生後半年のアカチャンを育てている29歳の私は、娘のオムツをじっくりと凝視して、「ウンチまで可愛い」と感じる日々を送っている。
そんな、ちょっとヤバめな母親(私)の話を、今からしようと思う。

ここ半年の間、毎日毎日、向き合う娘のウンチ、いとあはれなり

私はここ半年の間、毎日毎日、娘のオムツを替えてきた。出る日も、出ない日も、娘のウンチと向き合ってきた。
私は娘のファーストウンチを、はっきりと記憶している。海苔の佃煮のように少し緑がかった、黒いウンチがほんのちょっぴり、だった。
生まれたてのアカチャンのオーソドックスなウンチは、大体そんな感じなんだとか。長い人生の中でもめったにお目にかかれない、超スーパーレアウンチだ(尊い)。

そして娘が病院から退院する頃には、ウンチは黄色いゲル状にステップアップした。
ところで、新生児のウンチの原料はというと、当たり前に母乳やミルクのみである。だから、想像するよりも臭くない。

私が思うに、アカチャンが排せつするウンチは、ミツバチの作るハチミツに似ている(異論は広く受け付ける)。ハチミツが、花そのものとは違う匂いがする、それでいて、近しい何かが香るような……。
ウンチもハチミツも、小さな命によって生み出された、努力の結晶であることには違いないのだ。
嗚呼ウンチよ、いとあはれなり。

子育て7年目、私は何度「ウンチ」と声で発し、心で唱えたのだろう

現在の娘のウンチはというと、先月辺りからまた様子が変わった。離乳食が始まったからだ。
昨日の食事の影響が、翌朝のウンチに、モロに出てくる。そのシステマティックな感じが、率直に言って可愛い。オモロ可愛い。
ニンジンのすり下ろしを食べれば、オレンジ色の粒々が。小松菜のすり下ろしを食べれば、緑色の粒々が。食材達が一晩かけて、小さな体の中を通過して、素材そのままの色で排出される。
私はそれをお尻ふきで拭いながら、小学生の頃に飼育したカタツムリを思い出して、微笑んだりする。

私はもうじき、子育て7年目になる。これまでに何度、「ウンチ」という言葉を、声で発し、心で唱えてきただろう。「ウンチ」という言葉は、今や私の生活には欠かせないものとなっている。

「ウンチまで可愛い」と感じる存在が、いるということ

人ひとりの食事を完全に管理、把握し、排せつ物を処理する……それらのほとんどを私が1人で、行っているということ。「ウンチまで可愛い」と感じる存在が、この世にいるということ。それが私の、今の日常である。

この「ウンチまで可愛い」という感覚は、恐らく娘の成長が進んだある時に、フッと消えてしまうのだろう。
だから私は、いつか訪れるその日まで。アカチャンの娘をぎゅっと抱き締めたい。そして、彼女の成長過程の全てを、いつまでも記憶しておきたい。

こうして私は、「小さな命を守り育てている」ことの実感を、娘のウンチから日々得ているというわけなのだ。
また、この世の全ての人々が、生まれたてのアカチャンの頃にはこうして、家族から微笑みを向けられる世の中であってほしいと、願っている。

追伸。
……旦那よ。私たちの娘は、「ウンチまで可愛い」ゾ。
だから今すぐ、オムツを替えてみな。