一日に何度も、声が勝手に出る。ああ、とか、死にたい、とか。
30年に満たない人生だけど、数え切れないほどの後悔を残してきた。そのひとつひとつが、唐突に脳裏に蘇る。
お皿を洗っているとき。レモンの木に水をやっているとき。眠りに落ちるとき。
「跡、残っちゃったなあ」。私の左腕をとり、父は呟いた
ひときわ心が軋むのは、成人式の日。
電車で20分の会場へ向かうため、実家の最寄駅まで父に車で送ってもらう記憶。
私は白地に鶴の、綺麗な振袖を着ていた。せっかくだから、と家の玄関前で写真を撮ってもらった。そして車の助手席に乗り込み、父がクラシックのCDをプレイヤーに入れる。曲が始まるとともに、出発。父の運転する車は、いつだって音楽がかかっていた。
駅に着き、駐車場で停まる。少し早く着きすぎたから、と同じような重装備の若者に溢れる駅のホームへ行くのが億劫で、ぎりぎりまで車で待つことにした。
父とふたり、他愛もない会話が途切れて。
「跡、残っちゃったなあ」
私の左腕をとり、父は呟いた。
苦渋に満ちた、ともすれば泣きそうな。後にも先にも、このような父の声を聞いたことがない。
高校二年生。私はリストカットをしていた。
両親にばれないようにやっていたのだけど、ある日、駅で貧血を起こして倒れ、搬送され親が呼ばれ、切っていた腕に点滴されていたのでばれた。いたたまれなくて、家へ帰る車の中でずっと寝たふりをしていたのを覚えている。
残る傷跡に後悔はない。人生を繰り返しても同じ行動をするだろう
その晩、ふたりきりになったタイミングで父が話しかけてきた。その腕のこと、と。
父は、父自身も非常に動揺していると、今すぐ完全にやめなさいとは言えないが、やらなくて済むようになるよう協力を惜しまないと、まっすぐ目を見て言ってくれた。
ひっそりと渡された、新品の消毒液とガーゼ。せめて手当てをきちんとして欲しい、親の葛藤を感じてしまった。
それから。自傷行為は深くなったり、時々止めたりと20代半ばまで続いた。今も腕を見れば、そういうことをしていた人なのね、と分かるくらいに跡が残っている。後悔はない。そうせざるを得なかったし、人生を繰り返したとしても同じ行動をするだろう。
自分自身への割り切りと理解。それを獲得したのはつい最近である。しかし、親に対しての心苦しさが寛解するのはいつになるのか、見当もつかない。
私は未だ、この記憶を反芻し続けている。
「ごめん」。謝るのは私の方なのに、どうして震える声で優しく言うの
音楽が続いていたはずなのに、しん、と静まった。何か返事をしようと考える間もなく、哀しみだけが発露した。美しい振袖に染みがつかないよう、ティッシュを何枚も使って目を押さえた。
「ごめん」
謝るのは私の方なのに、どうしてそんなに震える声で優しく言うの。
お父さんは何も悪くない、今はもう痛くないよ、心配かけてごめんなさい。
何でも良かった。言葉を返せばよかった。現実には引き攣る掠れた嗚咽が出るだけ。ややあって、電車の来る時間だ、と控えめに告げられ、どうにか涙を押し込めた。
父の手は、私の左手と繋がれていた。そっと離して、いってきます、と唇を動かす。俯き加減のまま、迷子にでもなった気持ちで車から降りた。
父はどのような表情をしていたか。ハレの日、北国の風が我が身を切り裂いた。