「拝啓」なんて言葉も知らない8歳のとき、お父さんは宇宙よりも遠いところに行ってしまったね。
買ってもらったばかりだった濃いピンク色の二つ折り携帯にかかってきた、お母さんからの電話でそのことを知った私は、両目からボロボロ涙をこぼしながら、一緒に祈っていたばーばとねーねに、「お父さん、死んじゃったって」と伝えるだけで精一杯で、あとはただひたすらワンワン泣いていたんだ。
あれから10年が経って、お父さんのこと笑って話せるようになったよ
今思い出しても、泣けてくる。あれからしばらくの間、お母さんは台所の手拭きでちょくちょく目を拭っていたし、私もそれを見て、唇を不細工にひん曲げていたよ。
ねーねが泣いたところは一度も見たことがないけれど、多分私には見せないようにしているだけなんだと思う。あの人は、ジブリとか観ても泣かないし。
そんなメソメソしていた私たちも、さすがに10年経って、お父さんのこと、笑って話せるようになったよ。
地震のとき、机の下に潜るねーねと私なんかお構いなしに、テレビでやっていた小島よしおの「そんなの関係ねぇ」を全力で真似していたこととか、保育園の卒園式で集合写真を任されたときに、「焼肉屋さんで頼む白菜は?はい、キムチ!」って言って私含め園児全員をぽかんとさせたこととかね。
そういえば、今でも小島よしおは海パン一丁でテレビに出ているよ。キムチがチーズの座を奪うことはなかったけれど。
お父さんが使っていたカメラで、私もたくさん写真を撮りたい
あとさ、お父さんの部屋に眠っていたカメラ、勝手に使っちゃった。なんなら我が物顔で首から下げてる。コンタックスのG2。フィルムのやつ。
ネットで調べたら8万円くらいで売られていて驚いたよ。一眼も、いかついケースと一緒に出てきて持て余し中。私たちのこと、結構良いカメラで撮ってたんだね。
まだレンズの替え方とか、多重露光とかよく分かってないけれど、勉強して、お父さんと同じくらい良い写真撮れるようになるから。売らないよ。
この前、大学の写真も撮ったんだ。お父さんとお母さんと同じ大学。もう来年卒業しちゃう。1号館は相変わらず古めかしくって、小さい頃家族で遊びに行った時と何も変わってなくって、大好きな場所になったの。
お父さんが聞いたこともないウイルスのせいであんまりキャンパスに入れなかったけれど、卒業までにできるだけ使い倒してやろうと思う。写真もたくさん撮ろうと思う。
こっちの世界も意外と楽しいよ。また会えたら、いろんな話をしよう
まあ色々あるんだけど、一応、今のところ健やかに暮らせているから、安心して。あの世の住所とか知らないから、もうこんな手紙どこにも出せないんだけどさ、どこかでうっかり読んでくれたらいいなって思う。
お父さんがもう生きられないって見切りつけちゃったこの世界、私はまだお父さんの半分くらいしか生きられていないからアレだけど、意外と楽しいよ。嫌なこととか、辛いこともあるけど、同じくらい良いことも嬉しいこともあるんだって胸張って言える。
だからもし、輪廻転生みたいなシステムがあるんだったら、またこっちに来てみなよ。そしたら今度こそ、自然にぽっくり逝くまで、生きてみて。未来を信じてみて。
それで、もし会えたら、いろんな話をしよう。もう「拝啓」も使えるし、大抵のことを理解できる人間に育ったからさ。じゃあ、待っています。
敬具