私の家族は仲が良かった。父、母、姉、私の四人家族だ。
私と姉が学生でいるうちは、毎年家族でディズニーランドに行っていたし、夏と冬の長期休みでは必ず県外へ旅行にいっていた。
「たまに」の贅沢を精一杯楽しんできたことが今の私にも通じている
しかし、母にはいつも「うちはお金がないから」と言われ、日常的に高い買い物はしなかった。ジュースは友達が家に来ないと飲めなかったし、お菓子はだいたい98円以下のもの。ゲームが好きなのに、誕生日やクリスマス以外で買ってもらうことはなかった。その代わり買ってもらったときには、攻略本を片手に、細部までやりつめた記憶がある。
4年制大学を卒業して5年が経った今思えば、年に3回も旅行することができた私の家庭は、金銭的な余裕があった方だと思う。それでも日常的に節制しながら過ごすことで、「たまに」の贅沢を精一杯楽しむことができた。
「たまに」の贅沢の楽しさを味わってきたからこそ、今の私も「たまに」の贅沢を精一杯楽しんでいる。
私はそんな家族・家庭の在り方を誇りに思っていたのだが、それは私の学生期間が終了したと同時に、両親の様々な部分が垣間見え、自分の家族・家庭をそう思えなくなってしまった。
ある時から母が、ひとりの女性として身なりに気を使うように…
反抗期もなかった私が、両親に対して懐疑的になったのは、姉が社会人となり、私が大学生になった頃だ。短大で実家生活をしていた姉とは違い、私は首都圏の私立の4年制大学に進学して1人暮らしを始めた。
そこで、私の学費と生活費のために母は昔の職場に復帰した。
母は昔、看護師として働いていたが、私たちを身ごもってから仕事を辞め、専業主婦として家庭を守ってくれていた。母が職場に復帰してからというもの、今でもなお、家族の中にはモヤモヤがある。
母が、職場に復帰して半年ほど経ったころ、かなり身なりに気を使うようになった。今までもある程度気を使っていたと思うが、母親としての身なりから、1人の女としての身なりになった。露出が増えたとかそういうわけではないのだが、今まで使ったことのないブランド物の化粧品や、アクセサリーを身に着けるようになった。
いつも姉とは頻繁に電話もメールもする仲だったが、母の変化に1人暮らしをしていた私よりも、実家で過ごしていた姉が母の変化を不思議に思い、大学2年に上がる頃には、電話のほとんどの内容が母についてになった。
「あんなの持ってたっけ?」
「おしゃれになったんだよ」
なんていう会話から、
「最近スマホをやたら気にしているよ」
「電話がよくかかってくるんだよね」
「電話の内容が聞こえないように、部屋に籠って電話を始めた」
「休みの日のはずなのに、家にいないよ」
あんなに仲良かったわたしたちと両親が離れてしまうのは絶対に嫌だ
これはもうほぼ確定。母は不倫の真っ最中。
たまに実家へ帰った時には、父の不満も耳にした。
「俺があげてないアクセサリーを毎日つけているんだ」
気付くと母は、「いつも」贅沢になった。
私が就職活動をするために山梨へ帰る頃には、父・姉・私の中では暗黙の了解として、母の行動を受け入れていた。いつからだろう。旅行はもちろん、しなくなった。
今年の始めに、
「もうあれから5、6年経ってるのに、離婚したいと思わないの?」
と聞いたときには、
「好きとか嫌いとかの関係ではないんだよね、一緒にいるのが当たり前なんだよね。でももし、お母さんが一緒にいたくないって言うなら離婚も考えるよ」
父の言葉に妙に反論したくなった。
私たちはあんなに仲良かったのに、わたしたち子どもが両親と一緒にいたいという希望は通らないのか。母が一緒にいたいかいたくないかで家族の形が変わってしまうのか。
家族としてのたくさんの思い出がある。私は母が好きだし、父も好きだ。親としての二人が離れることは嫌だ。何が何でも嫌だ。
1人の人間としては尊敬できないところはある。しかし、親としては尊敬しているし、現在の私がいるのは両親のおかげであると思っている。何より、子どもの頃、毎日家で私と向き合い、育ててくれたことに感謝の念は堪えない。私の人生、すべてを否定されそうで怖くなる。
「たまに」の贅沢が楽しかった日々はもう戻らないのか。
私たちは仲がいい家族だったじゃないか。
それは私が過去にこだわっているからなのだろうか。
母が変わらなきゃ何も変わらないのはわかる。
私が何をしても変わらない。
それでも、これからもわたしは、「たまに」の贅沢をしていくつもりだ。