気づけば2年と半年が過ぎていた。これが最後、次が最後。大人の最後なんて、大抵当てにならないらしい。
形の定まらない関係は、水のように流れ込んで寄り添う。空っぽな私にはそれがちょうどよかったのだ。
私は人に伝えられない想いを、いつもノートに綴ってしまいこむ。あるページからしばらく、そこに書かれた想いの中心は1人の男性だ。

私が23歳のときに出会った彼は自分勝手だったけど、そこがよかった

彼と出会ったとき、私は23歳だった。20歳で入社し、時間の全てを費やしていた仕事を辞めて、違う仕事をし始めていた。
少し疲れていたのは確かだ。特に大きなやりがいもなければ目先の目標すらないまま、ただ流れ始めた日常に早々と飽き始めた私は、なにか漠然と刺激を求めていた。

彼は一言でいうなら、自分勝手だった。世界は自分を中心に回っていると本気で思っていたし、自分の欲求に対してとても素直な人だ。でも、それでよかった。というより、それがよかったのだと思う。
私は優しい人をいまいち信用できない。優しい人は私にも優しいけど、他の人にも同様に優しい。目の前に差し出された手が、私に向けられてのものなのか、当たり前の作業で出されたものなのか。それを疑うことすら煩わしくなる。
彼は機嫌が悪いと、物でも人でも雑に扱うところがあった。そのぶん、私のことを考えてくれている瞬間は、自信を持ってそうだと感じられる。

形を持たない関係は楽だし、何となくお互い暗黙の了解になっていた

私が会いたいときに会って、彼のしたいことにつきあう。彼といるときは、自分が空っぽなままでいられる。自ら考えなくとも、満たすことに徹すればいいから。
それに、自由奔放に生きる彼を見ていると、私ももう一度好きにやってみてもいいのかもしれないと思えた。
彼は私が仕事の話をするときには、いつもとことん話を聞いた。業界に戻り、今でも同じ仕事をしていられるのは、この出会いなくては存在しない未来だったかもしれない。

グレーでいることは、何となくお互い暗黙の了解になっていた。形を持たない関係は楽だし、彼とはその方が上手くいくと思った私の判断でもある。
だけど、違った。責任のない関係は、そのぶん自信も権利もない。聞きたいことは聞けず、言いたいことも言えない。一つ一つ諦めて流していったつもりの言葉に、いつの間にか首を締められていた。

もう、疲れた。そう思ったのが最後になった。ろうそくの火が消えるように、突然ふと、そのときはくる。
彼から会おうと提案があっても、身体も心もついてこない。形はときに縛りにもなるが、それが意味となり、越えられる事もある。
自分とも彼とも向き合わないでいるうちに、私は戻れないところまできていたらしい。不思議なことに、始まりがなかったことにも終わりは存在する。それきり、会えていない。

私のノートには、確かに「彼が主役として登場した」記憶が残っている

ある日、ふと彼が言ったことがある。
「人生が物語だとして、お前の何章かある一節に俺が出てくるやろ? それが何章まで続くのかは知らんが、少なくとも今俺が登場してる話の中では、俺が主役やねん。それは俺の中の一節でもあるからな」
彼らしい言葉だった。その言葉通り、私のノートには確かに彼が主役として登場した記憶が残っている。本人には、決して伝えられたなかった言葉たちだ。
それを切り取って彼に送ったら、どんな顔をするのだろう。2年半という、黙って想いを綴るだけには長すぎた時間。全てを伝えていたら、なにか違ったのだろうか。
今、私には初めて心から幸せになってほしいと思える人がいる。その人には、ずっと曖昧なまま隣に居続けてきた人がいるらしい。

私は彼に言った。
よく聞く話だけど、失ってから気づいたんじゃ遅いんだよ。本当に大切だと思うなら、もう一度向き合ってみるべきよ。相手のためにも、あなたのためにも。
形をなさない関係は終わらないと思ってるでしょう? 伝えなかった言葉はつもり積もって、いつか戻れなくなる。そうなる前に、あなたはちゃんと幸せになって。
悲しいことに、決して報われるためではない。それでも、今度こそ私は想いを贈ろうと思う。あなたには伝えられなかった言葉を、今度こそ。