先生へ
先生、お元気ですか。
先生と最後に会ってから7年、私はずっと後悔してきたことがあります。
友人と別れを惜しんでいた放課後の教室に、先生の姿はなく
先生は、アメリカでの日本人補習校で、国語を担当して授業をしてくれましたね。
全く英語がわからない私がアメリカの現地校で地獄のような平日を過ごしたあと、毎週土曜日に先生の授業を受けることが、当時の私にとって唯一の癒しであり楽しみでした。
最初は正直、メガネをかけて軽くパンチパーマをかけた強面な先生に対して、私は少し苦手な印象を持っていました。
でも先生の授業を受けるにつれ、日本語が苦手な生徒にも理解してもらおうとする強面な先生から滲み出る優しさと、授業中に見える先生のユーモアに私はどんどん引き込まれていきました。
そして高校二年生の夏、私は家族と日本へ帰国することが決まりましたね。本帰国前最後の土曜日、友人と別れを惜しんでいた放課後の教室に、先生の姿はありませんでした。
別の教室や職員室に行き先生を探し、最後の挨拶と感謝の気持ちを伝えることができたかもしれません。でもどう伝えたら良いのか、少し照れ臭くなった私は
「まぁ、いいか。先生なら私の気持ちを分かってくれるでしょ」
そう自分の中で納得をして、そのまま補習校、そしてアメリカをあとにしました。
一報に、これまでに感じたことのない程の後悔の念が溢れ出た
本帰国して約1週間後、補習校の友人たちから先生が亡くなったことを聞きました。
一報を受け、これまでに感じたことのない程の後悔の念が溢れ出てきました。
「先生にありがとうが言えなかった」
「なんであの時あの場所で伝えようとしなかったんだろう」
強そうに見えて実は寂しがりやな先生は、きっと私が最後の挨拶に来るのをずっと待っていましたよね。そして恐らく自分の人生が残り少ないことを知っていながら、私たちに病のことは一切話さなかった。
「歳だからね……」と言っていた先生の荷物を持ったり、お手伝いをしていた私に
「これこそ、無償の愛だね。あなたは本当に素晴らしいね」
と伝えてくれたあの言葉。あの優しい顔。あの雰囲気。
この5文字は、伝える側も伝えた側もどちらも嬉しくなる言葉
先生が大好きで、先生から学んだこと、先生に助けられたことが沢山あったのに、その気持ち全てを言い表せるたった5文字の「ありがとう」を、自分のいっときの感情で、伝えることができなかった。そう7年間ずっと後悔してきました。
「ごめんね」や「よろしくね」よりももっともっと深い言葉。この5文字は、伝える側も伝えた側もどちらも嬉しくなる言葉であるとそう感じました。
あれから7年、私は誰にでも、どんな時でも、自分が感謝を伝えたい時に「ありがとう」と素直に伝えられるようになりました。
また同じような後悔をしたくないから。
感謝しているという気持ちをちゃんと、相手にも知って欲しいから。
あの一件から私はより素直になれていると思います。
「ありがとう」の重みを学んだことが、私にとって先生からの最後の授業だったような気がしています。これからも生きる上で一番大切にしていきたい言葉です。
ずっと伝えたかった言葉、直接は伝えられないけれど、今伝えたいから言うね。
「先生、ありがとう」