アラサーになって、今更反抗期が来た。
とはいえ、学生のように感情をむき出しにすることはない。自分の中でパチパチと燃え、いつかその火が消えるのを待っている、静かな静かな反抗期だ。

ちなみに、その反抗している相手というのは母親である。
小さい頃の私は、母親にべったりだった。幼稚園では母親以外に抱っこを許さず、中高生の頃は、試験の度にポンっと背中を叩いて送り出してもらっていた。就職先が決まった時には、私が地元を離れることに二人でわんわん泣いた。

当時の私は反抗期とは無縁で、時に優しく、時に強かな母親を、尊敬の目で見つめてきたのである。それが、どうして今になって素直になれないのだろう。

前に言ってたことと全然違う!けんかのきっかけは、私の結婚式だった

きっかけは、私の結婚式だった。
母親は昔から、結婚式は無理に挙げなくても良いし、挙げたとしても二人で小ぢんまりやったら?と、再三私に話をしていた。
迷った末、私たちは式を挙げることにしたけれど、互いの実家が遠いので、開催地は中間地点の、小さな式場に決めた。

ところがどっこい、それを聞いた母親の様子がおかしい。年老いた祖父を想い、「おじいちゃんが来れないなんて……」と涙ぐみ、更に私がドレスを自分で選んだところ「二人で選ぶのが夢だった」とか細い声で伝えてきたのである。

母親としては、自分が新婚当時親戚付き合いに苦労した分、娘には自由にしてほしいと考えていたらしい。しかし娘の段となったら、「親」としての願いが溢れたのだろう。

確かに、客観的に見たら私が悪いのかもしれない。ネットで相談したらまぁまぁ私が叩かれそうである。でもお母さん、前に言ってたことと全然違うじゃない!私は、結婚式にこだわってなかっただけだよ!そう思うと、とても悔しかった。

結婚式での感謝の気持ちに嘘はないけれど、心はすっきりとしないまま

結局、けんかが苦手な私たちはLINEで長文のメッセージを送りあった。
傷つけたくないが故の遠回しな表現、散々考えた挙げ句の「送信取り消し」の文字、「気持ちはわかるよ、でも……」という逆説の文章。
煮え切らない二人の思いが画面に溢れ、私は次第に、連絡を取るのが億劫になってしまった。

結局私は、式に向けて母親とドレスを選び直し、当日は手紙で感謝の気持ちも伝えた。あの時の手紙に嘘はないけれど、心はすっきりとしないまま。

それ以来私は、母親に何を言われてもふてくされている。
結婚式だけが理由ではない。仕事の話をしてもわかりあえないこと、母親が歳をとって弱気になっていること、私に夫というもう一人の心の拠り所ができたこと。これは全ての小さな小さな要因が集まって生まれたけんかなのだ。こんな複雑な気持ちを、私は母親に上手く説明できる訳がない。

だけど、私は母親の娘だ。私たちがわかりあうのは、そんなに難しいことなのだろうか。
実をいうと私には、頭ではわかっていてもできていない、とても単純なことがあった。
それは、時間を作って会いに行くことだ。

上手く話せなくても、声や体温を感じたら許せてしまうことがある

大変な時は無理をしなくていいと思う。結婚式の時は、私は引っ越しと異動で頭がいっぱいだったし、当時母親は足が悪く、手術と長期入院を控えていた。こんな時は、お互いに精一杯。まずは、自分の生活を整え、気持ちを落ち着かせることから始めればいい。

でもそれができたら、会いに行くのだ。上手く話せなくても、その人の表情や、声や体温を感じたら、許せてしまうことがある。生きていてくれて良かったと、ほっとすることがある。

私は、このけんかには、終わりがあってほしいと願っている。だからこの感情を、一時的な反抗期であると思いたい。しかし大人の反抗期なりに、やるべきことをやって、自分の機嫌に自分で決着をつけなければならないというのもわかっている。

引っ越してきて2年がたった。いつから母親とゆっくり話していないだろう。
コロナが終わる頃、私は心の準備ができているだろうか。母親は娘のこの子どもっぽい決意を聞いて、笑うだろうか。