わたしの母は、とても真面目だ。
結婚して、わたしを産むときに仕事を辞め、それから今日まで27年間ずっと専業主婦。
家族のために、24時間体制で働いている。
朝はだれよりも早く起きて、朝食とお弁当を作る。
家族を見送ったらスーパーに買い物に行って、帰ったら掃除に洗濯、すぐに晩ごはんを仕込む。
ばらばらに帰ってくるわたし達に、あったかいご飯とお風呂をすぐに出せるよう、自分は夕方5時までに食事も入浴も済ませておく。
高校や大学に進むころには、わたしも弟もずいぶん自由に生活していたけれど、何時に帰っても母が起きて待っていてくれて、食器の片付けまでしてくれていた。
ほんとに、完璧な母親だ。
だけど当時のわたしは、それがどれだけ大変なことなのか、全然わかっていなかった。
母の凄さが、全然わかっていなかったんだ。

新年度にはじめたひとり暮らし、当たり前じゃなかった実家での日常

新しい年度がはじまるころ、わたしは実家を出て、ひとり暮らしをはじめた。
前の彼氏の家に少しだけ転がり込んでた時期もあったけど、イチからひとりで生活を営んでみると、ほんとに初めてのことだらけだった。
毎朝、眠たい目を擦りながら自分で自分の朝食を用意する。
日中は仕事に邁進し、疲れた身体を引きずって晩ごはんを作り、洗濯物をまわして、その間にお風呂に入り、洗い終わった洗濯物を干しながら、部屋の掃除をする。
布団をおひさまに当ててぽかぽかにする余裕はなかったし、ぼんやりしてゴミ出しの日を忘れることもある。
洗濯物がちゃんと乾かなかったり、洗剤と柔軟剤の違いがわからなかったり。
3食ごはんを作るのが面倒で、ごはんを作るために買い物に行くのも面倒で。
体重が、たぶん3kgくらい減ったと思う。
わたしって、なんにもできないんだなあって、やっと気づけた。
結婚して子供が出来てはじめて、親の気持ちがわかると聞いたことがあるけれど、わたしはそれより先に気づけたみたいで、ちょっぴり良かったのかな。
いや、それでも、もっと早くに気づけばよかった。
もっとちゃんと、ありがとうって言わなくちゃならなかったのに。

反面教師だった母のあり方、家族第一だった彼女の力になりたい

ほんとのことを言うと、わたしは完璧すぎる母を少し窮屈に感じてきた。
ルールをきちんと守り、目立ったことはしない母。
典型的な家父長制を継承した父の言いなりで、文句ひとつ言わずに裏方に徹するその姿を、幼いながらに窮屈で可哀想だとも思っていた。
わたしは、こんな風にはならないと誓うほどに。
だから誰かと家族になったり、子供を産んであったかい家庭を築いたりすることに興味が湧かないし、もしかしたらこの先もずっとそうなのかもしれないけど。
母の力になりたいと、思うようになった。
これまでずっと、その人生の半分以上の歳月を家族のために費やしてきた母のやりたいことを叶えてあげたい。
そう思うようになった。
今のわたしなら、経済的にも社会的にもほんの少し力がついて、実現できることもあるんじゃないかな、なんて。

何もできない自分に直面、日に日に増していく母への感謝の気持ち

ひとり暮らしをはじめたきっかけがコロナだったこともあって、近所に住んではいるけれど、最近母とは月に一度くらいしか会っていない。
自分がなんにも出来ないことを知ってから、会うたびに、また会えたことに感謝することができるようになった。
ちゃんと、ありがとうって伝えられるようになった。
わたしがどんなに頑張っても、きっと母のようにはなれないけど。
今でも変わらずわたしを心配してくれている母に、これまで返せていなかった愛を、ちゃんと届けていきたいなと思う。

わたしらしい形で。
わたしに出来る最高の恩返しを。
これからも、ずっと。