高校3年生の3月。
高校を卒業して、4月から社会人になる筈の私は、3年間在籍した劇団の慰労会に参加していた。

その劇団は、私の中学時代の学年主任の先生が主宰をしていた。
下は幼稚園生から上は80歳まで在籍しており、最盛期には1日1000人の観客を動員していたような劇団だった。
私は中学の卒業と同時にその劇団に入団、高校の部活と掛け持ちしながら3年間所属し、主宰の先生との付き合いは、かれこれ6年であった。

できちゃった婚の両親は、長女の私に「結婚しなきゃよかった」と言う

先生は劇団サークルの主宰であると同時に、中学の野球部の顧問でもあった。
そして、私と2歳離れた弟は野球部だった。
姉弟揃って、先生にお世話になったのである。
私の弟は成績優秀で、運動神経もよく、野球では小学生の頃から先生の目に留まっており、入部してすぐレギュラー入りするような子だった。
姉の私は、先生と顔を合わせる度に、「弟に、野球部に入るように言ってくれ」って頼まれたものだ。
両親もかなり弟の野球に熱が入っており、弟が2泊3日で遠征に行く時は決まって両親共に着いていき、部活や習い事のある私は家で1人留守番、というのがざらにあった。
どんなに100点をとっても、どんなに先生に褒められても、弟には勝てなかった。
私たちは、父と母と私と弟の核家族だった。
父と母は、お互いがいない時に、よく、「この人と結婚しなきゃよかった」と私に言った。
所謂できちゃった婚で、長女の私ができたから結婚した2人が、それを私に言った。
「それは、私ができなきゃよかったってことですか」
と何度も思ったけれど、何度も我慢した。
言ってもどうにもならないと分かっていたから。

今にも離婚しそうな両親を繋ぎ止めていたのは、弟と野球だった。
その点では野球に感謝している。が、私自身、野球にはあまり興味が持てなかった。
それなのに私たちには、父と母と弟の3人用の野球の会話しかなかったから、両親が野球に熱心になりはじめた時期(おそらく私が中学1年生の時くらい)から高校3年生まで、私は夕食の時間中、殆ど「いただきます」と「ごちそうさまでした」以外の言葉を発する事はなかったように思う。

「親に愛されてないよ」。笑って誤魔化そうとしたけど、泪が溢れた

弟にとって両親は、かなり熱心な親であっただろうが、私にとって両親は、かなり放任主義な親であった。
家族それぞれが先生と関わっていた分、先生は私たち家族をよく見ていたんだと思う。
私が劇団を去る日に、先生は私にこう言った。

「お前、親に愛されてないよ」

ショックだった。感じていたから。
両親が抱く弟への関心と、私への関心の比重は、確かに弟の方が重かったことを。
私は、ちゃんと、弟に劣等感を抱いていた。
ショックを隠したくて笑って誤魔化そうとしたが、どうにも堪えきれず目から泪が溢れた。
それを見た先生は、
「ごめんな~、俺、鈍感だから!!」
と言って笑った。
その言葉に初めて殺意を自覚した。
余りにも無責任じゃないか。
人の繊細なところを踏み荒らしておきながら、「お前が勝手に傷付いたんだろ」というような突き放し方は。

愛されてないことを自覚させてどうしたかったのだろう。
事実を淡々と述べただけであるというのなら、それは本当に言うべき言葉だったんだろうか。
先生が崩れかけの私たちをどうにかしてくれる訳でもないのに。
それに、私は小さい頃の両親の愛情を覚えている。
全国各地の水族館や動物園に連れて行ってくれたこと。
お弁当の日には毎回美味しいお弁当を作ってくれたこと。
私が自分から「やってみたい」と言ったことには、否定をせずに挑戦させてくれたこと。
「たった6年で、私たちの全てを分かったような気になるな」
そう思ったけれど、先生に直接そんなこと言えるはずもなく、あの言葉を言われた日から、ずっと治らない瘡蓋のように傷は残ったままだった。
事あるごとに瘡蓋は剥がされ、その度に先生への恨みが募っていった。

”名演技”のメッセージではなく、私が正直にひっそり主張したいこと

1年程前、ある連絡が回ってきた。
先生が事故にあって、植物状態になっているという知らせだ。
不謹慎ではあるが、正直ざまあみろと思ってしまった。
有志が先生の回復を願ってボイスメッセージを集めており、案の定私にもメッセージを送ってくれ、と連絡がきた。
私はちゃんと、あたたかくて模範的なボイスメッセージを録音して送った。

先生にはそれが、私の"名演技"であるとバレてしまうだろうか。
それとも鈍感な先生は気付かないのだろうか。
先生が目を覚まさないことには分からない。

あの言葉を真に受けてから約6年。
今まで許せなかった先生の言葉が、ちょっとずつどうでもよくなっている。
それは、弟の高校野球の夏が終わってからは両親と私と弟の4人用の会話も増えたし、母の鬱病を家族皆で乗り越えたり、私も弟も実家を出てひとり暮らしを始めたりして、私たちの家族の形は6年の間で少しずつ変わったからだ。

私が今、先生から返事がない事を良い事に、正直に手紙を書くとしたら、ひっそりと主張したいことがある。

先生。

先生は覚えていますか?
私に「お前、親に愛されてないよ」って言ったこと。
私は、父と母のために、先生にそう言われたことは墓場まで持っていくつもりです。

先生。
私のこの想いが、両親から私への愛の証明にはなりませんか?

先生。
確かにあの頃、私たちの家族はとても不格好でした。
でも私たち、愛することを勉強している最中なんです。