あれは確か3年前の夏の夜。ただひたすら海を眺めた帰りのバス停に私は立っていた。
その日は日々の疲れがどっとあふれ、ふと海を見たくなったのだった。肩くらいのショートヘアに、葉っぱ模様のリネンの白シャツと薄暗い緑色のロングスカート。君が見た私の姿はそれだけだ。

バス停で目の前に現れた彼は唐突に「好きです」と告白してきた

バスは1時間後に出発予定。「失敗した……」と思っていたその時、君は突然目の前に現れた。茜色のシャツに黒ズボン。私より20センチは高い君は、わざわざ腰を屈めて私の目を見て唐突に言った。

「彼氏、いますか?」
 これが噂のナンパか。普段人と目を合わせることに慣れていない私は、珍しく相手の目を見た。いや、見たというよりは、あまりにも顔が近すぎて目のやりどころが他になかったのかもしれない。負けたらナンパする、というような罰ゲームの最中なのだろうか、と思い、あたりを見渡したが誰もいない。

「いいえ。」
べつに本当のことなど話す必要もなかったのに、素直すぎる口に自分でも驚いた。私は君のことを全く知らない。全く知らない人になぜ恋愛ステータスなどをぺらぺらと話してしまうのだろうか。

「タイプです。好きです。付き合ってください。」
最近の流行りの告白はこんなにも早いものなのか。ストレートすぎるのと、テンポの速さに追いつかない。
しかし君。君は私のどこがタイプで、好きだというのか。告白とは、どこかキュンとするイメージがあったのに、君のはキュンともスンともしなかった。

「ごめんなさい。」
謝る言葉以外で、配慮のある断り方などはないものだろうか。君はなぜ私なのかを言わなかったし、私もなぜ君ではいけないのかという説明をしなかった。
私と君の恋が始まらなかったのは、本来言葉で表すべき詳細な説明を心にしまっていたからである。

キャンパスで見つけた彼。彼は前から私のことを知っていたらしい

それから2日後。キャンパスを歩いていたら、君がいた。あまりに驚いたのと、一度断ったという気まずさが入り混じり、君に気づかれないようにできるだけ距離をとって歩いた。
その後日、君の友だちでもあり、私の知り合いでもある人から、君のことを初めて聞かされた。

君は私が、人の目を合わせられない、人の話をなかなか断れない、動物に苦手意識を持っていることなども知っていた。学内の自転車がドミノのように倒れていたのをなおしていたことも知っていた。
しかし私は、君が同じ大学であることすら知らなかったのだ。だからこそ一方通行の恋に私は戸惑ってしまった。ここで私が君を知りたいと思ったら、双方向の恋は始まっていたたのだろうか。

いや、いくら親しい友だちでもなかなか目を合わせられない私に、そもそも恋などあり得るのだろうか。恋は始まるものでもあり、始めるものでもあるが、私はどうしても始まらなかったし、始められなかった。

まっすぐで純粋な眼差しを思い出す。バス停の君は私にもったいない

人の色々なことに気づける君と、私の見える世界は異なっている。
必要以上に人間を恐れ、ドミノのように倒れてしまった自転車の犯人は実は私で、私がなおして当然のことだったのだ。

私は優しい人でもなんでもない。ただ臆病なだけだ。けれどあの日だけは君のまっすぐで純粋な眼差しだけは受け止めることができた。恋ではないけど、あの日私は君の温かい心に救われた。
いつか私が君の見ている世界を見ることができたら、何かちがう人生を歩めるのかもしれない。
バス停の君。君は私にもったいない。