私の彼氏は、わけありだ。
両親とは小学生の頃に死別し、親戚には見捨てられたため、年の離れた兄たちと、極度の貧困を経験した。そして親がいないためにいじめを受け、不登校にもなった。
お腹が減っても、食べるものがないことはしんどいと思うけれど、彼の様子を見ていると、意外と味方がいないこともしんどかったんじゃないかと思う。
彼は周りの、たくさんの食べ物などの気配りのおかげで生きてきた。だからこんな状況で育っても、素直で曲がった所のない人に育った。
私なんか、こんなに満ち足りた生活をしているくせに、へそ曲がりだ。そういうつながりがないことが、今の貧困をより深刻なものにしているんじゃないかと思う。
就職して金銭的な苦労はなくなるも、知人が相次いで自殺。関係の深い人たちであったにも関わらず、とめられなかったことを後悔している。直前に電話をもらったのに、間に合わなかったそうだ。しかも原因となったその人の会社は、謝罪すらせず、社内に箝口令を敷いた。
クリスマスツリーを自分たちで用意した話とか、兄の友人に「練習台」という名目でずっと無料で髪を切ってもらっていて、生活に余裕ができてからちょっと奮発したお返しをしたら、お返し合戦が始まってしまったことなど、楽しい話もあったけれど、不幸のデパートにもほどがある。皆隠すからかもしれないけれど、こんなに品揃えが充実した人は、私は見たことがなかった。
初めてその話を聞いた時、私は泣いた。
自殺した知人は私にどこか似ているところがあると聞き、「絶対いい人じゃん!」なんて言えるようになってからも私はまだ泣いていた。
彼は淡々と話していたし、まさか自分が人の生い立ちを聞いて泣くとは思わなかったが、涙が止まらなかった。

私の小さな傷ですら治ってないから、彼の過去の傷が癒えていないだろう

そんな彼氏は私を溺愛していて、それはもはや変態の域に達している。私の全てが好きで仕方ないらしい。ちょっと私も驚いてしまうくらいだ。
しかしその変態っぷりも、過去の傷が癒えていないためだと考えると納得できた。彼氏自身は「俺は変わった」と言う。
確かに大きく変わったところもあるけれど、だからってあんな過去を簡単に片付けてしまえるはずがない。私の小さな傷ですら、治ってはいないんだから。

少しだけ周りより出来のいい家系に生まれて、ただ一人普通の人だったから肩身が狭かった。本当に出来が良かったら誰も気にするはずがないから、少しだけなんだろう。嫌味ったらしく、それを執拗に指摘してくる人もいた。しかしそんなのは過去のことで、いつか忘れ去ることができると思っていた。
しかし、無理だ。出来ない。世の中にはこんな考えをする人がごまんといるし、それを全て排除したとしても、私の中でこのことは消えない。何かの拍子で思い出すだろうし、私の中で劣等感は燻り続ける。
こんな些細な傷すら、なかったことにはならない。かさぶたになってはがれて、それでも痕は残る。忘れようとすると、他の記憶までぼやける。こんなことのために他の記憶が遠くなるなんて、そんなのは悲しい。

この傷とは一生付き合うことになるから、私はエッセイを書く

ここでエッセイを書くことの理由の一つに、「書くことで自分が救われるから」というものがあったが、どんなに書いてもこの傷は治らない。この傷とは一生付き合うことになる。完治することはない。きっとそういうものなのだ。私の傷でも治らないのなら、彼の傷はよっぽど治るわけがない。
きっと多くの人が、一生治らない傷をを背負って生きている。そういう人が多い時代になってしまったのか、傷を背負うことが難しい社会になってしまったのかはわからないけれど、私たちがすべきことは、自分の傷を無くそうとしたり否定したりすることではなくて、認めてそれと共に前に進むことだ。

情けない面くらい、お互いの前でだけは見せてもよかった。それでもいつかは自分の心の中にしまっておけるようになりたいと思っていたが、それよりも、笑って話せるようになるのが一番だという結論に落ち着いた。
彼は過去を私に話してからしばらくの間、とても明るかった。その状態に常に持っていけるよう、私は彼にとって、しっかり弱みを見せられる相手でいなければならない。
我慢ばかりさせてしまっていた。だからどこか愛情が歪だったのだ。対等になるということは、私も彼と同じだけの事をしなければならないということだ。

本人にとってはどの傷も痛いのだから、ちゃんと見てあげた方がいい

彼のことを考えていると、自分の過去なんてどうでもよくなる。それは彼と比べて小さなことで悩んでいるからではない。彼と話していると、他の人の小言なんてどうでもよくなるからだ。
「皆必ず悪いところがある。大事なのはそれを理解して、対策を練ること」というようなことを母はよく言う。いやな過去も同じかもしれない。

彼は特別ややこしい過去を抱えた人だが、何もしんどいことなく生きてきた人なんて、どこにいるんだろう。どれだって本人にとっては痛い傷なのだから、ちゃんと見てあげた方がいい。それができる人は、自分自身の他にはそう多くはいないはずだ。

私はまず、そのままの自分と、自分の居場所を認めること。彼に対しては、全部を受け入れ絶対的な味方になることだ。
彼は真っ暗な家に帰ることも、自分だけ家族がいないことも、しんどいと言っていた。コロナのせいで話は進まないままだけど、これからは一緒に生きるのだから、全てを背負う覚悟を決め、強く生きて行こう。そして何より、愛情が欲しいという彼に、恥ずかしがらず、目一杯の愛情を注ごう。
これらは何も、こういう彼だから、特別しなきゃいけないことではない。彼はちょっと過去が悲惨すぎただけの、普通の人だ。過去の貧困の日々も、彼にとってはもはや日常だった。それでも、つくしを食べるのはなかなかのことだと思うけれど、腫れ物扱いなんかは絶対にされたくないはずだ。
だから特別扱いはしない。そしてこれは、相手がどんな人であっても、この人と生きて行くと決めたのなら、誰もがしなくてはならないことなんじゃないかと思う。

ちなみに、彼の変態はまだ治りそうにない。それどころか、「一生変態でいてやる!」と宣言された。私が彼を受け入れて治ってしまうほど、変態というのは単純なものではなかったらしい。今日もまた変なことを言っている。
問題は、かなり根深そうだ。「先が思いやられる」と口では言ってみるが、そんなにいやでもない。
私がこの変態っぷりに動じることなく、見守り続けることも、彼を受け入れ安心させることの一つなのかもしれない。