「風街ゆい」としてエッセイや小説の執筆を始めて約3ヶ月。私は久し振りに、とあるDJCDを聴いた。
4年前に放送されていた、バンドをテーマにしたゲーム作品のアニメ化を記念したラジオである。聴くのはいつも、12回目の放送アーカイブ。私のメールが採用された回だ。
その回では、パーソナリティを務めているバンドとは別バンドのメンバーがゲストに来た。その別バンドというのが、私の大好きなバンドである。
悩んだイベント参加。1枚だけの抽選応募券で申し込むと、無事当選
元々、そのバンドのギタリストの名前と容姿、そして彼の作る音に惚れて、作品自体を好きになった。私はそのバンドの曲を聴いて初めて、ギターの音を綺麗だと思った。
とは言え、ギタリストの彼はつまるところ「キャラクター」であり、いろんな面でヴォーカル役のキャストさんが表に立つことが多かった。それは、生のバンド演奏によるライブイベントでもそうだった。
ラジオの放送開始の数ヶ月前、まさにアニメ化決定の報が初めて解禁されたイベントである。私は、このイベントに参加するか否かを、これまでにないほど悩んでいた。
第一に、イベントは都内での二公演のみであったこと。第二に、ギタリスト役のキャストさんは今回不在、ヴォーカル役のキャストさんのみの参加であったこと。第三に、それでもやっぱり私は彼の作る音楽が好きで、その曲を生で聴きたいという気持ちを捨てきれなかったこと。
私が持っていた抽選応募券は一枚だけ。当たるも当たらぬも縁次第だ、と思って申し込んだ昼公演のチケットは、無事ご用意された。
あの日の感動と感謝を届けられる最後のタイミングがラジオだった
そうして初めて身体全部で聴いた彼の作った音楽は、私の心も身体も大きく震わせてくれた。ギタリストの彼が惚れ込んだヴォーカルの彼は、そのキャストさんは、しっかりと私に大好きな音楽を届けてくれた。その感動と感謝の気持ちは、涙になって絶えず溢れた。
けれど、私はその気持ちをどこにも届けられずにいた。自分はギタリストの彼のファンだという気持ちから、ヴォーカル役のキャストさんへファンレターを書くのは、どこか違う気がしていた。
それを届けられる最後のタイミングが来た、と思ったのがラジオだった。丁度イベントのパッケージ化が決まり、発売日が迫る中で応援上映も行われていた。その中で、ヴォーカル役のキャストさんがゲストに来る。必ずこの話題が出るに違いないと踏んで、私はメールを送った。
正直、ファンレターとして送った方が良かったのではないかと思うほど、長い文章になった。その長さ故に、採用されないかもしれないと思った。けれど、目を通して貰えたら、それだけで良いと思っていた。
「すごく心がある良いメール」大好きな人に文章を褒めてもらった
そして配信された12回目の放送で最初に読み上げられたメールは、私が書いたものだった。長い本文はカットされず、全て丁寧に読み上げられた。
私の「ありがとうございます」という言葉に、ヴォーカル役のキャストさんも「こちらこそありがとうございます」と返してくださって。最後まで読んでいただいた後には、パーソナリティの方も含め、「レポ(レポート)のよう」「音楽雑誌みたい」「すごく心がある、すっごい良いメール」と、たくさんお褒めの言葉をいただいた。
ずっと応援している、大好きな方々に自分の文章を褒めて貰えたことが、とてもとても嬉しかった。
DJCDが発売されると知った時、これは家宝になるなと思った。私はこれを、お墓まで持っていくつもりだ。
私が文章で自分の気持ちを伝えたいと思ったこと。それが御本人の元へ届き、喜んで、褒めて貰えたこと。この出来事は、今文章を書いている「風街ゆい」の糧になっているし、今でも私の背中を押してくれている。
私が文字に込める想いは、しっかりと読んでくれるひとに届く。それを書ける力が私にはある。その実績が、確かに形として世に残っている。これが私の「自慢したい私」。