新卒で就職した会社をノイローゼになって退職し、実家に帰ってきてから2年が経ちました。
大学はできるだけ家から遠い所を受けて、一人暮らしをして、就職もそこでして、末っ子だった私は一人でも大丈夫だと胸を張ってお父さんに伝えるつもりでした。
「会社で病気になったから実家に帰る」と言ったとき、お父さんは「そうか」とだけ言いました。2週間後、実家に帰るとお風呂が沸いていました。お父さんが「お風呂沸いてるよ」と言ったので、私は数年ぶりに実家の湯船に浸かりました。

沈まないようにしても風で倒れ、水がかかれば沈む、笹舟のような私

私は笹舟のようでした。小さくてすぐ倒れてしまったからここにいます。
小学生のとき、校庭の広場に小さな池がありました。私たちは笹の葉を摘んできては、大きな笹舟や小さな笹舟を作ってそこに浮かべて遊びました。
長い笹を半分に折り曲げて、曲げた縁を三等分にちぎるとき、できるだけ真ん中を太く折らないといけないのです。そこが梁となって笹舟の軸になるからです。私はそれを知っていたから私の舟はいつも沈みませんでした。それでも風が吹けば倒れ、水がかかれば沈んでいきました。
笹舟のような私は情けなくて、湯船が温かくて、お父さんの声や話し方が私が小さい頃から変わっていなくて、私は声を殺しながら泣きました。
本当は小さい子供のようにわんわんと泣きたかった。いつまでも小さな子供のような自分のそういう所も嫌いでした。

あれから2年、天職に出逢い、お父さんに支えられ、笑って過ごす毎日

あれから2年経って新しい仕事を始めました。とても楽しくて毎日笑って過ごしています。
チームのリーダーに選ばれ、残業もしたり、時間に追われたりしていますが、人に恵まれていて家に帰ると楽しいという気持ちだけが残るのです。この会社やお客様の役に立ちたいと思える仕事です。天職だと思います。
ただ、帰る時間が遅くて私が帰る頃にはお父さんは寝ています。夏は、リビングでは冷房がかかっており、冬は温かくラップをかけた夕ご飯が並んでいました。
私が食べたいと言った肉じゃが。温めてすぐに食べられるように鍋がコンロに置いたままになっていることもたくさんありました。お父さんは「おフロ、沸いてるョ!」と変な書き置きをいつも残してくれます。
湯船に浸かるといつもあの頃を思い出します。そういえば湯船も舟という字が入っています。ここにいる人たちはみな各々の舟のかたちをしていて、それぞれがここに浮かんでいるんですね。

小さな笹舟だった私は、いつかお父さんを乗せて旅する船になる

私は確かに小さな笹舟でした。吹いたら倒れる青くてふらふらな子供のようでした。
今は、不思議なほどに何も怖くない。私が赤ちゃんだったときから、いつも船頭をしてくれたお父さん。あなたの声が遠く離れても私は迷わずに進めるでしょう。そういう風にあなたが育ててくれたから。
周りの子たちと少し出遅れてしまったけど、人より苦手なことが多い私は今さら出遅れても平気でした。校庭の隅の池で笹舟を作り続けたあの頃、笹舟を両手で覆って倒れないようにみんなで願っていました。

お父さん、私はもう小さな笹舟じゃありません。迷ったり、遠回りをしても、立ち止まることはありません。いつかあなたを乗せて世界中を旅する船になります。