割と最近まで、サメのパニック映画を観ると、私はお風呂に入るのがとても怖かった。
ホラー映画を観て、お風呂が怖くなったり、一人で眠れなかったりというのはよくあることだが、私の場合はそれがサメ映画だった。湯船に浸かった途端、バスタブの底が抜け、暗くて深い海になって、底からサメが大きな口を開けてこちらに向かってくるような気がするから。
だから、サメ映画を観た後は(観なければいいのでは、は正論だが好奇心に負けてしまうのが人間だと思う。)湯船の底にお尻をつけず、両手でしっかりとバスタブの縁を握って入るようにする。いつ底が抜けてもすぐに脱出できるように。

この話を人にすると、それはないなあとよく笑い話にされた。

「ホラー映画観た後のお風呂ってシャンプーする時、目閉じれないよね。」
「分かるー。」
「サメ映画観た後は湯船に浸かれないよね、底が抜けてサメが出てきそう。」
「ええ、それは分からない。」

こんな流れになる度に、私は相当な怖がりで臆病ものなのかと思っていた。

母が口にした、サメがお風呂の底から現れるイメージの意外な起源

この話は昔母にもしたことがある。
何それ、と笑うかと思ったが、そんな絵本あったよね、と母は懐かしそうに言った。

「ほら、お風呂から色んな海の生き物が出てくる話。最後は大きなクジラだったかなあ。もしかしたらその絵本が原因かもね」

そう楽しそうに笑う母の言葉を聞いて、その絵本を思い出した。
タイトルは覚えていなかったけれど、確かに読んでいた記憶がある。
サメが出てくるような怖い話ではなかったが、お風呂からどんどん動物が出てくる絵本。小さな頃に読んだ物語が、こうしてずっと私の中に残っていたのかもしれない。自分でも気づかないうちに。

いつのタイミングで、何がきっかけだったのか、なんて忘れてしまったけれど、数年前からサメ映画を観た後でも湯船に浸かってのんびりバスタイムを楽しめるようになった。スリリングな映画もお風呂も好きだから、両方ともを何の不安もなく心ゆくまで楽しめるようになったのは嬉しい。

湯船が底抜けの真っ暗な海になる、私だけの大切な「感性」

でも、大人になったなあ私、と思う反面、何か大切なものを失くしたような感覚になる。子どもの頃からずっと大切にしてきた何かを、失くしてしまったような。思い起こせば、これが私の中の「感性」のひとつだったのかと思う。小さい頃に読んだ絵本から生まれた、私の中に深く入り込んだ、私だけの感覚。

今はもう、湯船が底抜けの真っ暗な海になることはなくなってしまったけれど。そうやって風景を、世界を捉え、膨らませる想像力はこれから先どんどん歳を重ねても、もう失うことのないようしっかりと私の中で育て守ってゆきたいと思う。

それはきっと、私の生きる毎日をより豊かに、なんでもない日常をほんの少し特別にしてくれるはずだ。