心配性だった母に、「二人だけでお祭りに行く」と言ってしまった私
地元では、大きな夏祭りが開催された。歩行者天国になった道路にひしめく屋台。ソースのにおい。やわらかそうな綿菓子の袋。大音量の夏歌メドレー。祭りの最後に上がる、ささやかな花火。
町中の子供が楽しみにしている、年に一回のお祭り。誰と行く?って、1ヶ月も前から約束して。
でも、わたしの家ではルールがあった。
祭りには、絶対に親がついていくこと。心配性をこじらせて心も病んでいた母は、子供だけで夜出かけることを、まるで法律違反かのように恐れていた。
小学校中学年くらいまでは、まぁ我慢できた。わたしは子供だしな、夜20時くらいまでのお祭りだしな、親も心配だよな、って。だから、親と一緒に毎年お祭りに行っていた。
しかも貧乏な家だったから、やわらかそうな綿菓子の袋は買ってもらえなかったし、母はビールじゃなくて水筒のお茶を飲んでいた。
それでも、くじ引きを一回と、かき氷一杯だけは買ってもらえた。それは、すごく嬉しかった記憶がある。だから、夏祭りは、好きだった。
でも、小学校高学年にもなると、周りの友達で、親とお祭りに行くなんて子はいなくなって、わたしも誘ってもらえるようになって。○○ちゃんに、お祭りに行こう、と誘われて、二つ返事でオッケーをした。
「今年は○○ちゃんと2人だけでお祭りに行くね!」と家に帰って母に言った。
言わなければ良かったのだ。こっそりお祭りに行って、門限を破ってしまうだろうけれど、それでも友達と2人で行けば良かった。
「ついていく」という母。友達はそれでもお祭りに一緒に行ってくれた
母は当然のように、「あら、後ろをついていくわね」と言って、○○ちゃんの家に電話をかけていた。「ついていくから安心してくださいね」と、悪びれることもなく。
すごくすごくすごく、
すごくすごくすごく、すっごく、
嫌だった。
どうして、と。
どうしてわたしは、友達と2人でお祭りに行ったらいけないの、と。
だってみんな、毎年友達同士で行っているよ、と。
翌日、学校で会った○○ちゃんは、ちょっと嫌そうな顔をしていた。「お母さんついてくるの?」って。それでも一緒にお祭りに行ってくれたあの子は、優しかったな。
お祭りの日。スピーカーから流れる夏歌メドレー。ソースのにおい。綿菓子のやわらかそうな袋を提げた女の子。ビールを飲んでご機嫌な大人たち。みんなのどこか浮かれた空気。
わたしの後ろには、母がいた。
クラスのうわさ話をするわたしと○○ちゃんの後ろをついて、母は当然の顔で歩いていた。
これじゃあ、好きな男の子の話さえできない。すごくすごくすごく、嫌だった。
気を遣わせてごめんね、○○ちゃん。話題を選んでくれて優しいね、○○ちゃん。
周りの子みたいな自由がなかった。ルールを破れずみじめだった夏の夜
途中でクラスメイトの男の子たちとすれ違った。もちろん彼らは子供同士でやって来ていて、わたしたちに声をかけた。「どっちのお母さん?」って、笑いながら。
すごくすごくすごく、嫌だった。
母は当然のように、わたしの母だと名乗って、「子供だけだと危ないからね」と言った。満足そうな顔をしていた。それがどれだけわたしを傷つけるかもわかっていない顔だった。
うちは貧乏だった。くじ引き一回と、かき氷一杯しか買ってもらえなかった。
でもさすがに○○ちゃんと来ているからか、焼きそばを買ってくれたのを覚えている。
あの時の母の「高いなぁ」という小声のつぶやき、わたしはきっと死ぬまで忘れない。○○ちゃんに聞こえていなかったことを、心底願っている。
お祭りに誘ってもらったときに、親に言わなければ良かった。お祭りは親と一緒に行く、なんていうルール、破ってしまえばよかったのだ。
屋台の夜道。人のざわめき。ソースのにおい。わたしは買ってもらえなかった綿菓子のやわらかそうな袋。
周りの子に与えられていた自由がなかったわたし。友達と出かける自由や、500円の焼きそばをねだる自由。
ルールさえ破っていれば、わたしはその自由を手に入れられたのに。
今でも思い出す、あの夏の夜のみじめさ。
実家を出て、母の呪縛から解き放たれてもなお残る、あの夏の夜のくすぶり。そのくすぶりは、花火とソースの匂いがする。