「出せなかった手紙」と聞いて、一番に思い出したのはマイのことだった。
マイは私の保育園のころからの幼馴染みで、私の家から歩いて2分ほどのところに住んでいた。
人生で初めてできた親友。小学校にあがっても私たちの友情は続いた
幼少期の私は引っ込み思案ですぐに自分の世界に入ってしまう、マイペースな女の子だった。保育園のクラスには30人もいなかったし、優しいクラスメートのおかげで仲良くしてくれる友達はいたが、その中でもとりわけ仲の良かったのがマイだ。
マイは少し気の強い性格で、なんでも自分の思い通りにならないと気を損ねるような女の子だったらしいが、あまり他人に興味のなかった幼少期の私にはそれが気にならなかった。
お昼寝の時間に眠たくない私は、マイと布団を隣同士でくっつけて布団をかぶってその中でおしゃべりをしては先生に怒られたものだった。思えば私が人生で初めてできた親友といっていいのかもしれない。
同じ小学校にあがっても私たちの友情は続いた。クラスこそ違ったが、学校が終われば二人とも学童でずっと遊んだ。
私とマイはかわいいデザインのメモ帳を集めるのが趣味で、新しいものを買ってもらっては見せ合って、数枚ずつ交換した。たまにそれに手紙を書いて送りあったりもした。文字を覚えるのが苦手だったマイの手紙は読むのに苦戦した記憶があるが、私はそれが楽しかった。
同じ習い事をしたり、休日にお互いの家に遊びに行ったりもした。
ところが高学年になったころ、マイは酷く友達に依存するようになった。どこに行くにも誰かについてきてもらわないと嫌で、常に友達の腕にしがみついていた。たくさんのクラスメートと接するうちに友達が増えた私は、マイが少し鬱陶しく思えた。
本心を知られるのが恥ずかしくて、友達に手紙を書くのが苦手になった
マイの読みにくい字が、ころころとした丸文字になったのはこのころだったと思うし、私が手紙を書くのを苦手になり始めたのもこのころだったと思う。自分の気持ちを文字に起こすのは照れ臭いように思うようになった。
三歳くらいの子供なら「おかあさんありがとう」とかいった手紙はさらさらと書いて渡せるのだろうが、成長すればどういうわけかなんだか恥ずかしくなってくるのは私だけではないだろう。誕生日に友達に書いたメッセージカードでさえ、渡してその場で読まれると、居心地が悪いように感じてしまうほどだった。友達に宛てて私の気持ちを正直に書いているのに、本心を知られるのが恥ずかしいというジレンマだった。
私はマイとは少し距離を置くようになった。幸い、小学校は通っていた保育園からも近く、マイと私の共通の幼馴染はほかにもたくさんいた。私がマイと距離を置いたからといってマイが孤立することはなかった。
入院から2年。友人づてに聞かされた訃報に、自分を殴りたくなった
そして、マイと地元の中学校にあがり、新しい友人がたくさんでき、部活も始まり、マイともクラスが分かれてマイとの接点が少なくなってしまったころ、マイが入院したと聞いた。
マイは小学校のころに肺炎で少しの間入院していたのだが、何事もなかったかのようにすぐに退院したから、また大したことはないだろうと思っていたが、その後マイが中学校に来ることは一度もなかった。
入院の知らせから2年に差し掛かった高校1年生のころ、マイの訃報が友人づてに聞かされた。
白血病だったらしい。人生で初めての親友だったのに、入院していた病院はおろか、病名さえ聞こうとしなかった自分を悔いた。またそのうち会えると楽観視していた自分を殴りたかった。通夜でたくさんのクラスメートが集まった中、一番にマイの顔を見せてもらった私は声を上げて泣いた。
通夜では後悔に苛まれて取り乱すことしかできなかったが、今となっては棺に手紙を入れさせてもらえばよかった、と思う。
マイへの最後の手紙はどれだけ自分の気持ちを正直に書いたって、だれの目にも触れることがないのだから。