昨年度の暮れに、課を上げて対処しないといけない一大事件が起こった。これは、外部的な要因で、誰がミスをしたというわけではなかったのだが、対処に2週間近くかかった。
2週間ずっと日付が変わるか変わらないかという時間に帰宅し、休日出勤して、問題解決の目途がついて、年末の休暇に入った。

仕事が忙しく私のメンタルは崩壊寸前。そのとき、母と喧嘩が始まった

年末に、同居している両親と久しぶりに会ったが、私のメンタルは崩壊寸前だった。もともと要領もよくなく、仕事ができていなかった私は、思ったように問題解決に貢献ができていなかったからだ。
そのような負い目もあり、恒常的にある自責癖がひどくなり、久しぶりの休みの夕食時に、些細な事で母親と喧嘩が始まった。

「仕事大変だった」「しんどい」といったような話をしていたのだと思う。そこで、何か母の言葉に引っ掛かり、怒りがわいた。冷蔵庫を開けていた私は、持っていたものを冷蔵庫の中に投げて、中にあるプラスチックの棚の一部を破壊した。
久々にその日、私は母にたたかれた。幼いときはよくたたかれていたけれど、顔をはたかれたのは本当に久しぶりだった。
それがきっかけで、一気に我慢していたものが崩壊して、大声を上げながら、泣きだした。

母はずっと変わらない。私の「わかってほしい」は、母には通じなかった

わけもわからず、頭をかきむしったり、たたいたりした。ちょっと発狂していたのだと思う。母に「頭たたいたり、かきむしったりしてるけど、しんどいふりしてるんやんな?」ときょとんとした顔をされて、逆に冷静になってしまった。
おそらく、母にとっては私の働き方は、そこまでしんどくないもののように見えていたのだと思う。高度経済成長期、資格をもって働いてきた彼女にとって、たった2週間、しかも休みもあって、家に帰れる状況で何を言っているんだと。
また、私の父親も、2年間ずっと日付が変わってしか返ってこず、休みしか顔を見ないほど働いていたこともあった。そして何度か体を壊して、通院しながら会社に行っていた。

それを見てきている彼女にとっては、乗り越えられるのが当たり前で、その働き方が娘にとってストレスを与えているものだとは一切思っていなくて。都合の悪いことがあったから、そんな行動をしているのよね……? というような顔をしていた。
それを見ていた父は、私を抱きしめてくれた。
「大丈夫、この2週間がんばってたんやろ。しんどいんやな」
私は自傷の手を止めることができた。

わかってと母に期待するのをやめた。私は大人で、自分の足で立てる

長年、私が母からしてほしかったことは、何歳になってもしてもらえないとわかってはいた。共感してほしい、慰めてほしい、認めてほしい……。そういったことは、母は子供たちに向けられるものではない、そう思っているのかもしれない。

もう私も働き出して3年目。幼稚園のときみたいに、親指をしゃぶって泣いて「抱きしめてほしい」なんて、ねだることはもうやめた。
私の母親という存在は、家族のために献身的に尽くしてくれる存在で、感謝すべき人物であるけれど、私を精神的に支えてくれる人ではない。
私の精神が穏やかなときは接しても大丈夫だけれど、不安定なときは接してはいけない人。ささいなけんかから始まったけれど、ようやく母に期待することをやめられるきっかけができた。期待し続けるのはやめる。私はもう大人で、自分の足で立てる。