「生まれてこなければよかったのに、なんて言われるために生まれてきたんじゃないのに」
嗚咽を漏らしながら、途切れ途切れの呼吸で、そう言った大学1年生の春。
苦しく重たい胸の内を明かしたその時のことは、今でも覚えている。
待ちに待った大学生生活は想像をはるかに超えて忙しく、留学のかかった語学試験が目前という中で、幼いころから続けてきた習い事を継続することが難しくなってきていた頃だった。
「生まれてこなきゃよかったのに」。母の一言が私のすべてを狂わせる
思い返せば中学、高校とずっと何かに追われるように日々を忙しく過ごしていた気がする。
中学では部活をしながら塾に通っていい成績をとり、3年間所属し続けた委員会では委員長まで務めあげ、英語の弁論大会に学校代表で出場し賞をいただいた。多忙な中、習い事は2つ、嫌々だがやっていた。
高校受験は失敗したが、入学後こちらでも多くのことを成し遂げた。
きっと自分のためではなかった、どれもこれもすべて最愛の母のためだった。
「褒められたい、認められたい、誇れる娘になりたい」その一心で駆け抜けた青春時代。
本当に本当に一瞬で過ぎ去り、残ったのはストレスと虚無感と後悔だった。
母は褒めてはくれたが、私に怒りをぶつけることがしばしばあったからだ。
叱る、のではなく怒る。躾という名の八つ当たりだったのかもしれない。
よく私を怒鳴り、叩き、寝かせはしなかった。
ある夜のこと、些細なことで母を「怒らせ」てしまったとき、その中で言われた一言が私のすべてを狂わせたのだと思う。
「生まれてこなきゃよかったのに」
そのとき私は生まれてきた意味、努力してきた意味を失っただけでなく、誇れる娘という理想から一気にかけ離れたことに気づいた、いや、むしろ生んだことを後悔させてしまったと感じ取った。
自傷に走り損ね、この悲しみやストレスをどこにぶつければいいのか分からず、正しく愛してくれる人さえいない。体は正直なもので、鼻血が高い頻度で唐突に起きるだけでなく、病気も発症した。
生に対する母からの肯定に執着するほど、辛く、苦しく、死を望んだ
そんな中学生時代から大学まで私が一度も反論、反発したことがなかったのは母との関係を良好に保ち、修復不可な状況を避けるためだった。母も私も共依存状態であったし、あえて一時的な感情から永続的に崩壊させることはしなくてもよいと思っていたからだ。
しかし、今までのこと、慣れない大学生活、失敗できない試験、そして習い事。
母からの習い事継続するようにとの「怒る」手前の警告に、私は気が付くとダイニングの椅子を押し倒し、反論の言葉を泣きながら怒鳴っていた。
「私の気持ち、置かれてる状況なんか何にもわからないくせに」
「そうやっていつもいつも」
「もう嫌だ」
今までの感情が涙と共にこぼれて止まらなかった。
そこからは一日中母と怒鳴りあいだった。
もうここまで本音が出たのだから言ってしまえ、という勢いで出てしまった。
「今までずっと頑張ってきたのは、生んでよかった、と思ってほしかったから」
「誇れる娘にずっとなりたかった」
「生まれてこなければよかったのに、なんて言われるために生まれてきたんじゃないよ」
いい子、を幼いころから演じてきた私にとって、声をあげて泣いたのは生まれてきた瞬間以来初めてのことだった。
生に対する母からの肯定に執着すればするほど、辛く、苦しく、死を望んでいた。
中学2年生の時に戻れたら、もっと気楽に生きていいと教えてあげたい
今ならわかる、きっと自分を苦しませていたのは母でも環境でもなく自分自身だった。
勝手に母に愛を過度に求め続け、ストレスを与えてしまっていたし、自分自身を追い込み、プレッシャーを与え続けていた。もし14歳の、中学2年生の時に戻れたら、その時の自分に会えたら、私はもっと気楽に生きていいんだよと教えてあげたい。
自分にも母にも期待しすぎず、穏やかに、学生時代にしかできないことを沢山したかった。
もっと泣かずに、心も体も痛みに怯えることなく暮らしたかった。
過去の自分、生きていてくれてありがとう、よく頑張ったね、ごめんね、もっと方法はあったはずなのに、追い込んでごめんなさい。
周りからは称賛されても真っ暗で苦しく、息ができない日々をあまりにも長く過ごしすぎてしまったからか今でも呪縛は解けず、病気とストレスに弱い体を抱え、常に何かに怯えたまま。
自分を認めて、自分自身を誇るということを母に求めるよりも先に自分がすべきであったのに渇望するあまり自分を追い込み続けた。
過去を抱えて今日も生きる私は誰よりも、これから先も、誇れる自分
誇る、ということを母はしてくれていた。父も、兄弟も、周囲の人も。
きっと何もしなかったとしても自分の産んだ娘として誇ってくれていたことだろう。
「自慢の娘、誇れる娘、産んでよかった、生まれてきてくれてありがとう」
このような生を肯定する言葉は私を苦しめていたことに気づいたからこそ、過去に後悔しているのだ。
誇るということは目に見えず判断が困難であるし、加えて様々な方法があるだけでなく人によって感じ方も異なる。つまり、過去の私の行動や功績は母にとって誇れることだったのかは定かではないということだ。もしかしたら無駄だったのかもしれない。
しかし、自分にしかできないこと、他人には耐えることのできないことをやり遂げ、さらに過去を抱えて今日も生きている私は誰よりも、これから先もずっと、誇れる自分だ。