そのありえないほど美しい光の洪水を見たとき、このままときが止まればいいのにと思った。極寒の山の上、23歳の誕生日の夜である。
同じ日に誕生日を迎えた彼と、彼の地元の山に登ったのだった。山頂から見下ろす世界は光に溢れ、泣きそうなくらい美しい景色だと思った。隣に大好きな人がいて、眼下にはありえないほど綺麗な光景が広がっていて、天井には数多の星が踊っていた。

彼の「大切な人しか連れてこない」と言葉が嬉しくて仕方なかった

私たちは、夜景を見ている間、ほとんど言葉を発さなかった。それでもきっと、同じ景色を見て同じようなことを想いあっていたことだと思う。
ただ一言、彼が言ったのを覚えている。
「ここは僕が見つけた穴場で、大切な人しか連れてこないんだ。だから今日いおちゃんを連れてきたかった」
彼の「大切な人」になれたことが、嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
山に登る前は、彼の地元の公園を散策し、美しい夕日を眺めて、一番の親友だという友達にも紹介してもらった。
私は自慢になるような人間ではないはずなのに、彼は私のことを恥じないどころか誇らしげに紹介してくれて、私は泣きたくなるほど嬉しかった。そしてお友達は、私たちの誕生日と関係を心から祝福してくれたのだった。

豪華に祝ってもらうより、「大切な人」と過ごす誕生日の方がしあわせ

とても、ささやかな誕生日だったと思う。去年の誕生日に比べれば、尚のことだ。
22歳の誕生日、私は働いていたお店のお客様に連れられて、お昼に高級店で最高ランクの松阪牛を食べ、1泊の料金が私の月給ほどの旅館に泊まり、芸術的なフレンチを食した。プレゼントには、誕生石のネックレスと54粒のリアルジュエリーが付いた豪華な指輪と花束、その他たくさんのいただきものをした。
それでも、今年の誕生日の方が、私はよっぽど幸せだったと思う。それはきっと、本当に大切な人と過ごした誕生日だからだと思う。
豪華な料理も贅の限りを尽くしたプレゼントもなにもいらない。ただ、心から好きな人が一緒にいてくれるだけで、その時間はかけがえのないものになるのだと知った。

彼がいれば私に不可能なんてない。それくらい彼は「大切な人」

これからもずっと、私を「大切な人」と言ってくれた彼の、大切な人で居続けたいと心から思った。毎日息苦しい彼の、息継ぎのような存在でありたい。彼がいれば、私に不可能なんてないと思う。それくらい、しあわせな誕生日だったし、彼は私にとってとても大切な人である。
そんな彼と、あと何回「ときが止まればいいのに」と思うほどの思い出が作れるだろう。山の上で彼が愛する地元の夜景を見たその瞬間が、私が「生きたい」と心から思った初めての瞬間だった。いつも死にたい私なのに、彼とまだたくさん思い出を作りたいから死にたくないと思った。

大切なものが増えると同時に「仕方ない」では済まされないことが増えていくのは、生きにくくて切ないことだと思う。それでも、私は彼としっかり向き合って、これからもしあわせに生きていたい。
だから私は誕生日のあの瞬間に戻りたいと思うけれど、もっとしあわせを重ねながら、一瞬一瞬を大切に生きてゆきたい。