人の乳房がライトに照らされて舞っている姿を見たことがある人は、どれくらいいるのだろうか?
私はある。赤や緑、黄色になるライトの下、形の良いまん丸な乳房が2つ、ステージで舞っているのだ。見ていいのか? でも、ライトに照らされているものを見てはいけないなんてことはあるのか? 口を半開きにして眺めている私が立っていたのは、レズビアンのクラブイベントの会場だった。
夜中のテレビ番組で紹介されていた「レズビアンイベント」に参加した
レズビアンのイベントだが、レズビアンでなければ参加できないということではなかった。戸籍が女性であればオーケーで、どんな女性でも参加できた。
存在を知ったのは、夜中のテレビ番組で紹介されていたのを観たからだった。四角い画面の中で、女性がぎゅうぎゅうに押し込まれていた。楽しそうじゃないか。
クラブイベントと聞くと、良くないもののように聞こえる。不健全なイメージがある人はたくさんいることだろう。
それが女性オンリーのものだとしたら? 途端に健全で、美しく、想像するだけで良い匂いがしてくる。蝶が飛んでいる様子さえ、見えてくる気がする。
当時の私は怖いものなしだ。友人を誘い、身分証を握りしめ原宿の駅で待ち合わせしたのは、ハロウィンの夜だった。
入場口まで長蛇の列で、入るまでに時間がかかった。ズラッと女性が並んでいて、最後尾に向かって歩いていると、先に並んでいる女性達に上から下まで全身をチェックされているような目線を感じた。
しばらく並んでようやく入場口に辿り着き、身分証を提示してゲートをくぐった。人が溢れていて、かろうじて皆、首から上が出ているといった状況だった。ケースにびっしり入った爪楊枝を思い出した。
「人、すごいね」という友人の声で、思考が爪楊枝から目の前の空間に戻された。頭の中の爪楊枝でシーハーしている場合ではない。壁際をよく見ると、もう身体を絡ませてチュッチュしている2人組がいた。
入場口で光る腕輪を渡されるのだが、友達募集か恋人募集か、色が選べる。私は選んだ友達募集の色の腕輪を、ギュッと握りしめた。
イベントには様々な人がいた。その中で、私は確かに蝶を見た
様々な人がいた。恋愛対象は異性だが興味があって参加した人、恋人と一緒に参加していて友達を増やしたい人、恋人を探していて時間がもったいないから好みの人以外は目も合わせたくないという人。この、好みの人以外は目も合わせたくない人にうっかり話しかけてしまった場合、「お前に用はない」と一瞥をくらうことになる。
「いや、違うの、ただお話、したかっただけなの……」という私の言葉が届くこともなく、ちょっとしょんぼりしてしまう。レズビアンのクラブイベントなのだから、当然といえば当然なのだ。一瞥程度で済むことに感謝しないといけない。
「あなたが求めている人と巡り合いますように……」と私は願いながら、爪楊枝の束に紛れてその場を離れた。
中央にステージがあった。4~5人のダンサーがクラブミュージックに合わせて踊っていた。ステージの縁は、ダンサーに渡すためのチップを握りしめた人で埋め尽くされている。
私は2度見、3度見をした。踊っている人の1人の衣装がはだけて、乳房が丸出しになっていた。乳首にはニップレスが貼ってあり、先っちょは隠れていたが、その他がもう、丸出しなのだ。
ダンサーの彼女はあごくらいまでしかない短い髪で、ボーイッシュだが艶があり柔らかそうだった。通り過ぎた後は光る粉でも落ちているのかと思う程に煌めき、長い手足は羽根が付いているかのように軽やかで、時折目を細めて笑っているように見えた。妄想していた蝶は、実際にいた。
私は過去に興味はない。だけどこの「イベントの夜だけ」は戻りたい
私は経験を欲しているが、思い出に興味がない。荷物になるだけなので、なるべく持ちたくない。過去はゴミと同じだと考えている。
だけど、この夜だけは違う。戻りたいと思う。戻って、もう1度。壁際で絡まっているカップルのそばを何食わぬ顔で通り過ぎたい。隣り合わせた人にとって、まるで興味がない対象でいたい。毒々しいほどはっきりとした色の光をいくつも浴びながら、あの乳房がついた蝶を見たい。
私は誰にとっても主役ではなかった。無数にある爪楊枝のうちの1本に過ぎなかったが、たしかにそこに存在できていた。あの空間の一部として生きれた。
帰り道にイヤホンでどんな音楽を聴いたか覚えているのは、この日だけだ。