「え、まじ!」
キッチンの方から跳ねるような声。
「ねえ、彼女、できたって」
友人が扉から顔を覗かせて後ろを指差す。
彼女の背後にいるその男。なあ、そいつな、私の好きな男だ。
恋人ができた。好きな人に、恋人ができたらしい。
これで私がこの人間に失恋するのは2度目になる。
再び膨らむ恋心を必死に抑えていたところだったのに
1度目は5年前、「好きかも」が「好きだ」まで膨らんだある秋、彼は私の親友と付き合い始めた。まるでパズルのピースがはまるみたいに、それはそれは自然に。
2人に笑顔で「おめでとう~~!」と言った帰り道で、嗚咽して泣いた。
世界はくすんだ色に染まり、私をぺしゃんこにした。人生初 正真正銘の失恋は、あまりに痛くて苦かった。
そして、何事もなかったような顔をして2人の4年間を近くで見つめ、自分もまた恋人ができて同じくらい長い時間を過ごした。
その両方ともが幕を閉じた後だった今、私は再び膨らんでいく恋心を必死に抑えていたところだったというのに。
「へー!ちょっと、聞いてないんだけど!こないだ言ってた子?あの、ドライブの」
「そうそう」
「へー、先越されたなあ。おめでと」
高めに出した声に反して、頭の方からすーっと体温が落ちていく。
ああ、そういえばそのドライブの子、「いいじゃん、合いそう」って言ったのは、私だったけなぁ。あれ、わたし、なに、してんだろうな。力を抜けば強張ってしまう顔に必死に笑顔を貼り付ける。
「あーーもう私もこの機会に始めよっかなー!」
スマホの検索窓に文字を打ち込み、ハートマークのアプリをインストールする。アカウントを登録して写真を選び、隣の彼にどう?と見せる。
「いいね、これは右スワイプされるわ」
「うーんプロフィール埋めるのめんどい、代わりに打ってよ」
「任せろ」
私はまた、ひとつ恋を失ったのか。やっぱり、恋をしていたのか
あ、案外大丈夫そうかも。友人たちが面白がって順々に私のプロフィール欄を埋めていく。うん、楽しい、楽しいね。
初めて使うマッチングアプリは新鮮で、数分ごとに来るいいねの通知が飲み会がお開きになるまで私の心を守ってくれた。
家に着くともう日付が変わってから30分以上過ぎていたけど、意味もなく部屋を掃除をして、洗濯機で毛布を洗った。気付けば時計の針が1周、2周と回っていた。うん、たいしたことないな、と心の中で唱えて、風呂には入らずに眠った。
朝目が覚めて、何か夢を見ていた気がするけど、思い出せずにただ悲しいと思った。ああ、あいつに恋人ができたんだった。夢じゃ、なくて。
重い体を起こしてPCを起動し打刻をする。頭がぼーっとしていつもより視力が悪いように感じる。なにも進まない。ここのところ仕事はずっと楽しかったのに。
あぁ、私はこの視界を知ってる。この靄がかったようにくすんだ世界は。
私はまた、ひとつ恋を失ったのか。やっぱり、恋をしていたのか。
ぽたり、と水滴がキーボードに落ちた。
怖かった。また、好きだと認めてしまったなら、今度はいろんなものを壊してしまう。例えば、「ともだち」として側にいたこの5年とか。例えば、全員親しい友人同士であるお互いの元恋人との関わり方とか。例えば、気を遣わない仲間みんなでの心地よい時間とか。
彼はまた他の人のものになり、私の気持ちはまた、なかったことになる
私には勇気がなかった。だから彼に恋人候補を紹介してもらったり、他の子との関係を後押しすることを言ったり、自分の気持ちを無視する行動ばかりとった。これはただの執着で、無視をしていれば消えるだろうと。
よかったね、なんにも壊さずに済んで。よかったね、これからもともだちでいられるね。でもじゃあなんで、こんな痛いんだよ。彼はまた他の人のものになったね。私のこの気持ちはまた、なかったことになるんだね。
ごめんね、わたし。
もしあの日に戻って、あの子の話をするあなたに「私にしとけば」と言えたなら、もしあの日に戻って、買い物袋を持ってくれながら「彼氏ムーブさせられてんな」と言うあなたに「なっちゃえば」と言えたなら。
どう変わっていただろうか、私は今泣いていなかっただろうか、こんなに、痛くはなかっただろうか。