私には謝りたいことがある、天国のおばあちゃんに。
おばあちゃんは、めちゃくちゃに優しくて、いつでも本音で生きた人だった。何を言っても「だって本当なんだもん」で許されるのは彼女の嫌みの無い性格と、なんだかんだ憎めない独特の雰囲気ゆえだと思う。私はそんなおばあちゃんが大好きで、世界で一番愛してた。今でも私の中の憧れはおばあちゃんだ。

神様が、おじいちゃんが、絶対助けてくれるはず。そう信じて疑わなかった

彼女は、私が中学1年生の時、私の誕生日の前日に膵臓がんで亡くなった。
亡くなる半年前、「最近よく疲れる」と言うようになった彼女に私は「年齢のせいじゃない?気にしすぎだと思うよ」と返し、特に気にもとめていなかった。同じ頃、彼女は胃痙攣を起こし、近所のかかりつけ医の診断を受けた。たまたまだと言われ、胃薬を渡されただけだった。
時は過ぎ、亡くなる3ヶ月前になった時、かかりつけ医が別の病院で検査を受けることを勧めた。その結果、まさかの膵臓がん、しかもステージ4だった。余命3ヶ月を言い渡された。
今の私なら、この状況がかなり苦しい状況で、覚悟しなければならないと考えるだろう。しかし、当時の私は、映画のように神様が助けてくれると信じて疑わなかった。肝臓がんで亡くなったおじいちゃんの遺影を見ながら「お願いします、おばあちゃんを助けてください」と神頼みしまくっていた。だから、おばあちゃんが寝ている布団に一緒に入った時、彼女が私に「これが最後になると思うから、何か欲しいものない?」と誕生日プレゼントについての質問をしても、「そんなこと言わないで、元気になったら一緒に買いに行こう」などと空気の読めない発言をして彼女を困らせたりもした。この時に気付けばよかったものの、私は学習しなかった。

私のせいでおばあちゃんの「やり残したこと」を作ってしまった

亡くなる3日前、彼女は「おばあちゃんと抱っこしない?」と提案してくれた。
助かると信じることが思いやりだと、優しさだと履き違えていた私は「負担になりたくないから」と断ってしまった。これが最後になるとも知らずに。

その翌日には彼女の意識はほぼ無くなってしまっていた。
この時になって初めて助からないかもしれないという危機感を抱くようになった。同時に、私のせいで彼女に人生でやり残したことをいくつ作ってしまったのだろうという強烈な罪悪感に襲われた。その一方で、まだ生きてるんだ、希望はある、目を覚ましてくれたら、と藁にもすがる思いでどうにかならないかとぐるぐると考えたりもした。
しかし、彼女は目を覚ますことなく亡くなった。私は彼女の死に目に会えなかった。亡くなったことを母親から伝えられた瞬間、何よりも後悔したのはおばあちゃんと「抱っこ」しなかったことだった。ありがとうを伝えられなかったことだった。そしてそれは一生取り返しのつかない後悔だった。
それ以来私は、遠慮が優しさではないと悟った。人の生命に奇跡や神の恵みはないと知った。だからこそ、ありがとうが口癖になったし、大切な人には私のしたいことを伝えるようになった。とにかく目の前の人を、今を大切にしないと、死んじゃうから、と心のどこかでは常に思うようになった。

医学部へ進学してがん研究に興味を持った おばあちゃん、ありがとう

今、私は医学部の一年生だ。彼女のような患者さんを救うために選んだ道だ。
初めは、診断を過ったかかりつけ医への憎しみから、私が超えてやると思っていたが、膵臓がんの診断の難しさを知る中で、純粋にがん研究に興味を持つようになった。彼女は私に「あんたは好きなように生きたらいい」と言った。
今でも彼女の死に縛られていることは事実だけど、彼女のおかげで、医師という私が行きたいと思える道を見つけた。周りの優秀さや自分の不甲斐なさで日々に苦しくなったり逃げ出したくなったりすることばかりだけど、いつも彼女の言葉だけが私の背中を押してくれる。どこまで行っても敵わない。
いつかおばあちゃんに会えたとき、きつく抱きしめながら、私の人生に悔いは無いと言えるように、今はただ苦しいだけでも、自分の夢のために生きたいと思う、いや生きる。そして、患者さんが挑戦したいと言ったとき、もちろんリスクは考慮するけれど、おばあちゃんにしてあげられなかった分も患者さんの願いを叶えられるように尽力しようと思う。

最後に、おばあちゃん、おばあちゃんの願いや思いをたくさん踏みにじってごめん。次に会ったときは、おばあちゃん孝行させてね。本当にありがとう。おばあちゃんが今幸せであることを願ってるよ。