学生の頃、ボーイスカウトに所属していた。
この話をすると絶対言われる言葉。
「え?女の子なのに?」
その度にまたかとウンザリしていた。
実際、女の子はほとんどいない。
ボーイスカウトよりも年が下のカブスカウトなら少しはいるのだが、ボーイスカウトにもなると女の子なんて滅多にいなかった。

嫌いなボーイスカウトで唯一好きな時間が、野営の最終日のお昼ご飯

私は自分が所属しているボーイスカウトが嫌いだった。
私が所属していた団は、全国の中でもかなり厳しくキツいところで、毎回私は泣いていた。
そうすると、「男の子に舐められるよ」と周りに怒られた。
数少ない周りの女の子は他の男の子に負けないと息巻いていて、私には遠く感じた。
どんなに嫌がっても引っ張ってでも連れていかれて、嫌々参加していたのを今でも覚えている。
大雨の中、100キロ以上ママチャリを漕ぐ意味も、吹雪の中半袖で手旗信号をする意味も私には分からなかったし、思春期になって男の子との違いを分かり始めた時期に、男の子に勝とうとかそういう向上心も私には持てなかった。

ボーイスカウトで唯一好きな時間があった。
それは野営の最終日。
撤収前のお昼ご飯だった。
最終日は、竹で作ったかまど、テーブル、テントなどを片付け帰ると言うのがいつものパターンだった。
帰ると言っても、これから地図とコンパスを睨めっこして何十キロの荷物を背負って帰る地獄のような帰路が待っている。
心身ともにヘトヘトだった。
だけど、どれだけ辛くてもしんどくても離脱はさせて貰えなかった。

野営で食べる、醤油と卵しか入れていない乱雑なうどんが大好きだった

そんな時いつも作るのは釜玉うどん。
かまどでうどんだけ湯掻いて、玉子と醤油を入れるだけ。
撤収作業後、ほぼ何もない野営地で出来る最後のご飯だ。
私はこれが大好きだった。
釜玉うどんを食べるのはボーイスカウトが初めてで初めて食べた時、衝撃を受けたのを覚えている。

家に帰ると、心底ほっとした。お湯を沢山使って身なりを清潔にできる、風を通さない壁とゴツゴツしていない平面な床で暖かく広い布団の上で寝ることが出来る。
そんなことがどれだけ素晴らしいのか毎回身にしみた。

ボーイスカウトを辞めてからふと思い立って、あの日の釜玉うどんを作ったことがある。
あれだけ美味しかったのだ。きっと美味しいに違いないとワクワクしながら作って食べた。
しかし、不思議とあの時の美味しさは感じることが出来なかった。
あれだけ美味しかったのに。
家で作ったのだから野営地で作るより清潔で、より豪華に出来たのに。
あの日の醤油と玉子しか入れていない乱雑なうどんには勝てなかった。

あの釜玉うどんは、少女の私が大人になるための試練を達成したご褒美

ボーイスカウトをやめてそろそろ10年が経つ。
今でもあの頃を思い出すと苦笑いがこぼれる。
辛くて辛くてどうしようもなかったあの日々。
だけどあの頃があったから、今があるのだと思う。
辛いことがあった時、あの日々と比べたらこんなの楽勝だと幾度も乗り越えることができた。
次の電柱まで行ったら倒れようと何度も何度も次の電柱を目指し、結局ゴールできた達成感。
それが私を強くした。
何も出来なかった泣き虫な私が、背筋を伸ばして歩ける大人になった。

きっとあの釜玉うどんは、そんな少女の私が大人になるための試練を達成したご褒美だったのだろう。
かと言って、もうあの試練達をもう一度受けようとは思わないけれど。
あの日、仲間と一緒に食べたあの釜玉うどんの味は忘れることが出来ない。