「パチンコと私、どっちが大事なの?」

“仕事と私”ならぬ、“パチンコと私”を天秤に掛ける。漫画やドラマの世界でしか聞いた事のない面倒な女が言うありがちな台詞を、10歳の時に戻って、私は父に問うてみたい。

10歳の誕生日は特別なものだと思っていたが、父はパチンコに行った

それなりに仲睦まじい両親の元で、私は一人娘として育った。娯楽なんてほとんどないような田舎町だったし、父も母も友人と呼べる人間とは(私が見てきた限り)、家庭を持った時から会ったりしていないようで、2人とも休日は1人で出来る趣味をして過ごしていた。

父の趣味が少し厄介だった。それは、パチンコ。自分の小遣いの範疇で遊んでくれる分には結構だが、生活費に手を出す事もしょっちゅうだった。

忘れられない出来事がある。私が10歳の誕生日を迎えた日のことだ。小学4年生、学校では1/2成人式なんて行事をして、ただ年齢が2桁になるだけだというのに、当時の私はなんとなく“10歳”の誕生日は特別なものだという印象があった。私は8月生まれなので、夏休み中に誕生日を迎えるのだが、共働きの両親も私の誕生日に合わせて休みを取ってくれて、当日は家族3人で出掛けようねと約束をしていた。

当日、朝起きてリビングに向かうと、既に身支度済みの父の姿が。「ちょっと張り切り過ぎじゃない?」なんて思ったのも束の間、父は「ごめんな」と言って1人で家を出て行ってしまった。母にどういうことか尋ねると、テーブルの上には新聞紙に折り込まれたチラシ、パチンコ屋のものが何枚も。

後から知った事だが、私の誕生日である8月8日はパチンコの日らしく、各社様々なイベントを開催しており、パチンコを打つ人にとってはお祭りのような日なのだそうだ。「そっか、私の、10歳という記念すべき誕生日は、パチンコに負けたんだ」と幼心に、それはズシンと重くのしかかってきた。その日は結局母と2人で出掛けたのだが、美味しいご飯を食べさせてもらっても、欲しかったゲームを買ってもらっても、何をしても心が晴れる事はなかった。

私のことを可愛がっているフリをしているけれど、父の中に私はいない

夜、ケーキは家で食べようとホールケーキを購入し家に帰った。父も既に帰宅しており、3人で食卓を囲みケーキを食べながら、私は父について思案した。この人は私のことをどう思っているのだろう。普段はふざけてハグしてきたり、「一緒に風呂入るか!」なんて冗談も言ったりするくせに。よく考えたら、これらの可愛がり方も、身体の接触に関する事ばかりだな。私のことを可愛がっているフリをしているけれど、実際は彼の中に私はいない。網膜に映っている“だけ”。

今となっては、父は“異性の子供”である私と、どう接して良かったのか分からなかったのだろうなと思う。身体も、趣味嗜好も、全部全部違う。彼から見たら私は、化け物のような存在だったのかもしれない。到底、理解不能な”娘”という化け物。

ただ彼は、そんな私を少しでも理解しようとする努力をしなかった。血が繋がっているとはいえ、個々の人間だもの、私を完全に理解して欲しいとは言わない。けれど、せめて理解しようとする“姿勢”は欲しかった。

そうか、私は父から愛されたかったのだ。身体接触だけの愛情表現もどきなんかじゃなく、誕生日は一緒に過ごして欲しかったし、テストの成績だけを褒めるのではなくて、その裏にある努力もちゃんと見ていて欲しかった。私の事を、もっと深いところまで見ようとして欲しかった。口先だけの「ゆみが生まれてきてくれて良かったよ」なんて、ちんけな言葉じゃなくて、もっと絶対的な愛情に包まれたかった。

幼少期に父に抱いた「不信感」は拭えず、込み入った話は一切しない

昔は、私もそんな父とどう接すれば良いのか分からず、苦しかったり悲しい思いも沢山してきたけれど、徐々に父との適切な距離感が掴めるようになってきた気がする。単純に親元を離れたのもあるけれど。上辺だけのコミュニケーションなら、上手く取れるようになった。ただ、やはり幼少期に彼に抱いた不信感は拭えず、込み入った話は彼に一切しないし、しようとも思わないが。

父はタバコも吸うし、運動も全くしないし、なのに食事は油物を好む、絵に描いた不健康だ。今のところはまだ平気だが、歳も歳だし、私の見立てではあと数年で体調を崩すだろうと思っている。

もし仮に、彼が大病を患って入院するとなった時、私はきっと彼が危篤状態になるまで、見舞いには行かないだろうなと思う。私の最後の復讐。病床で弱りつつある彼に、私は笑顔で優しく「ねぇ、パパ?パチンコと私、どっちが大事だった?」と尋ねたい。