2014年3月21日。大学進学のため上京する日の朝、母は熱を出した。引越し作業は父だけが手伝いに来ることになった。
母とは滅多に喧嘩をしなかったものの、引越しの前日に喧嘩をしてしまった。私は母に向けて放った心ない一言を、東京へ向かう車の中で後悔していた。雪が降る早朝の寒空の下、玄関先で私を乗せた車が見えなくなるまで見送る母の姿を、今でも忘れられない。

2021年9月9日。9ヶ月ぶりに地元・富山に帰省する新幹線の中で、私は窓の外を見ながら涙が止まらなかった。自分が情けない。こんな形で帰省したくなんてなかった。

適応障害で休職になった私に、母は「富山に戻っておいて」と声をかけた

帰省の理由は少し前の8月27日。病院で適応障害だと診断された。
上京して7年半、26歳になった私は東京の広告代理店で忙しくも充実した日々を送っていたが、その日は突然やってきた。

会社に向かう電車の中で涙が止まらない。資料の内容が何度読んでも頭に入ってこない。大きな失敗をしたわけでも、会社の人間関係で悩んでいるわけでもないのに、自分の意思とは関係なく1日中涙が止まらないので、当然まともに仕事なんてできない。
同期からの説得によって病院に行き、診断を受けたことでようやく自分が正常じゃない状態だと認めることができた。しばらく休職が決まったことを報告すると、母親は富山に戻っておいでと声をかけてくれた。

上京後の7年半、富山に帰省する回数は多くはなかった。学生時代もバイトを理由に長期休暇は帰省しないことが多々あった。家族仲が悪いわけではなく、会いたい気持ちはあったが、ただ田園が広がる「何もない」地元に帰ると何とも言えない物悲しさを感じた。

東京にはどこにでもあるようなスタバもインスタで流行りのスポットも、煌びやかなものは何もない。駅前の商店はシャッターがおり、小学校の帰りに遊んだ公園の遊具はいつの間にか撤去されている。
どんどん未来へ進んでいく都会での生活と比べて、地元での生活は時間が逆行しているように感じられ、気が重くなった。

順調だと思っていた都会での生活。一番信じていた自分に裏切られた私

久しぶりに父母兄の家族全員で食卓を囲んだ時、いつもは威勢の良い私が随分大人しくなって帰ってきたため、3人は戸惑っていたように思う。恒例の父の冗談にも笑わずに、ただ黙々とご飯を食べる私を見て動揺する雰囲気は感じ取っていたが、笑顔を作って家族を安心させる余裕さえ、その時の私にはなかった。

正直なことを言うと、私は「都会に染まった自分」に優越感を感じ、都会に順応し上手く生活していくことはもはやプライドになっていたように思う。
今思えば本当にしょうもない。週末はお洒落なカフェに行ってSNSにアップ、話題のスポットにはすぐ足を運び、広告代理店であたかもキャリアウーマンのように忙しく働く自分の人生をまあまあ順風だと思っていた。

しかし適応障害になったことで、任されていた新規案件を途中で断念し、上司からの期待を裏切り、キャリアに穴を空けてしまった自分は、今まで築き上げたものを全て失ったダメ人間だと思った。
一番信じていたはずの自分に裏切られた。26歳にして早くも挫折してしまった「何もない」自分で故郷に帰るのは情けなくて、恥ずかしくて、家族も私を残念に思うのではないかとさらに落ち込んだ。

母の前では話せた本音。家族も私のことを静かに見守ってくれていた

休職して2ヶ月後、私は順調に回復していた。帰省した当初は「甘えてないで、そろそろ頑張りなよ」といつ言われるのかと少し不安に思っていたが、この2ヶ月間そんなことを言われたことは一度もなかった。1日の大半をただボーっと過ごしている私を責めることなく、家族はただただ静かに見守ってくれた。

特に母は定年退職後、家で一人で過ごしていたため、話し相手ができたことを少し喜んでいてくれていたように思う。時たま母の買い物に付き添い、夕食の献立は何にしようかと話をした。当初の私は口数が少なかったものの、徐々に会話が増え、高校生ぶりに親子で話す時間ができた。1ヶ月経つ頃には、仕事のプレッシャーやしんどいと思っていた本音も自然と母の前で口に出していた。

休職中に富山で見た景色はこの7年半、見えていたものとは少し違っていた。
遠くの山に夕日が沈み、辺りがオレンジ色に染まるまで縁側で静かに読書をすること、夜、お風呂上がりに風にあたりながら、鈴虫やコオロギの鳴き声に耳を澄まして夜道を散歩することが何よりも心落ち着く時間になった。
今までは空気が重く閉鎖的で、時間が止まったように灰色に見えていた景色が、今では色鮮やかに優しく穏やかに寄り添ってくれるように感じる。

青空にはばたく雀を見て感じたのは、故郷の美しさと母への感謝だった

10月後半のある日の昼、母が「こっちにきて、珍しい光景が見れるよ」と縁側から私を呼んだ。行ってみると、庭先の水溜りで雀4匹が羽をバタつかせながら水浴びをしていた。
母は人生で初めて雀の水浴びを見たという。もちろん私も初めてだった。そのまま特に言葉を発することなく、2人でただじっと、小さな可愛い生き物が無邪気にパシャパシャと水飛沫をあげるのを静かに眺めていた。

しばらくして水浴びを終えた雀たちが晴れた青空に羽ばたいていくの見た時、言葉にできないじんわりとした感情が胸いっぱいになり、なんだかとても泣きそうになってしまった。
それはいつも優しく見守ってくれた母への感謝と、今まで見えていなかった故郷の美しさに対する感動が混ざりあっていたように思う。それと同時に、あの日謝れないまま上京してしまったことや、父から母が寂しそうにしていると聞いていながらあまり帰省せずに都会の刺激に酔いしれていたことを申し訳なく思った。

もし上京の日の朝に時間を遡れるのなら、寂しさと不安から母に八つ当たりしてしまったことを謝って、体を大切にいつまでも元気でいて欲しいと、ずっと味方でいてくれて優しく寄り添ってくれてありがとうと伝えたい。

11月に入り、仕事に復帰するタイミングを考える余裕も出てきた。東京に戻る日はそう遠くはないと思う。
言いたかったことは気恥ずかしくて、未だに言葉にできていない。近頃は肌寒く、きっと雪が降るのはもうすぐだ。
今度富山を離れる時には、次こそちゃんと伝えて出発しよう。後悔のないように。