当時20歳。
某年某月、適応障害のため、精神科病棟へ入院した。
手の中にあった幸せが遠く感じる入院の日々。母の手料理が食べたい
入院中は、衣食住が保障される。その中でも食事は、入院生活の満足度を左右する大切な要素だ。だが、病院食がおいしいという話は、あまり聞いたことがない。例にもれず、私もそのパターンだった。
院内の食事は、正直言ってまずい。栄養士の方には申し訳ないが、味が薄すぎる。
食パンは湿っていて、ご飯は常温。おかずも野菜や魚ばかりで肉はほとんどなく、カレーやオムライスなんてもちろん出てこない。病院食でいちばんおいしかったのはパック牛乳だった。
私は約二週間入院する間、一度も食事を完食しなかった。おかげで痩せてしまった。
普段何気なく食べている、母の手作り料理やお惣菜、お菓子やアイスクリームが、どれほど恵まれたおいしい食べ物なのかを痛感した。それと同時に、家族への寂しさが一気に込み上げた。
家に帰りたい。早く退院して、お母さんの手作りの、温かくて味のある料理を、口いっぱいに詰め込みたい。「もう食べられないよー」って、お腹を膨らませて笑いたい。
受話器を抱きしめて言った「お母さんのハンバーグが食べたい」
我が家では、ハンバーグがよく食卓に並ぶ。母が手ごねで作るミンチは、ファミレスで見るものよりも大きくて分厚い。それをフライパン2つにぎっしりと並べ、弱火でじっくりと焼く。味付けはデミグラス、おろしポン酢、ケチャップ&マヨネーズなど様々だ。
手のひらいっぱいサイズのハンバーグを、家族で円卓を囲みながら、テレビを見て食べる。母の笑い声。弟たちの騒ぎ声。もうやめてよ、と苦笑いする私。絵にかいたような幸せが、手の中にあった幸せが、この時は夢のように遠く感じた。
ここで運ばれてくるのは、白いトレイに乗った無機物みたいな食べ物。それを一人で、壁に向かって食べる。隣の部屋からは、混乱して叫ぶ患者の声が聞こえた。
病棟には公衆電話があった。
私は院内でテレホンカードを購入した。公衆電話の受話器を握りしめてダイヤルを押し、震える手で自宅にかけた。
「はい、〇〇です」と懐かしい母の声が聞こえた瞬間、滝のように涙があふれ出た。止められなかった。後ろに他の患者が並んでいないか確認しながら、宝物みたいに受話器を抱きしめた。そして、子どものように言った。
「お母さんのハンバーグが食べたいよぉ……」
人生で一番幸せな食事。涙がこぼれるほど美味しい手作りハンバーグ
私の治療は順調に進み、ほどなくして退院した。病院を出たその日は、飛び跳ねるほど嬉しかった。
我が家の車。外の風、外の景色。家への道、小さな我が家、郵便受け。何もかもが新鮮に映った。刑務所にでも入っていたような、まるで遠い異国の地に拘留されていたような気分だった。
「ただいま」
家の扉を開くと、あの匂いがした。台所に向かっていた母は、ゆっくりと振り向いて、駆け寄った私を力強く抱きしめた。そして、いつもと変わらない調子で言った。
「おかえり。ハンバーグできてるよ」
その日、家族と円卓を囲んで食べたお母さんの手作りハンバーグは、人生で一番おいしかった。ぼろぼろと涙がこぼれ落ちるほどおいしかった。
間違いなくこれが、人生で一番幸せな日の食事。忘れられない、母のハンバーグ。