お客様に恋をした。
飲食店でアルバイトをする私は、ある一人のお客様に恋をしてしまったのだ。よく、ドラマや漫画の設定なんかで聞くアレな展開だが、まさか自分の身に降りかかるとは。
出逢いは突然、といった表現を使いたくなってしまうこの恋の始まり
出逢いは突然、とか、運命的な出逢い、等といった表現を使いたくなってしまうこの恋の始まりは、月が綺麗な9月の終わり、残暑の厳しい日であった。
私は、アルバイト勤務している飲食店で、ドライブスルーのお客様の会計を行う係として屋外にいた。車の誘導やら、運転手のもとへ行って会計やらしていたら、あっという間に汗だくになってしまった。
汗をかく、ということは、アトピー性皮膚炎の私には非常に辛い。身体中痒くて痛くて仕方がない。早く全身を濡れタオルで拭きたい。しかしお客様は途切れず長蛇の列。あぁ、もう……。
イライラがピークに達した頃、“お客様”は現れた。太陽に負けじと輝きを放つ、いかにもカッコいいといった車に乗り、恐らく冷房が効いていて快適なのであろう車内から、涼しげな顔をこちらに向けてきた。とんでもなく卑屈になっている私の心が呟く。
車のナンバープレートも、まさしく“こいつ(512)”なお客様
「いるよなー、こういうやつ。何かさ、軽く人のこと見下した様な表情しててさ、それでいて目を合わせて会話をするということが出来なくて、どことなく挙動不審で、自信があるんだかないんだか分かんない様なやつ。
んだよ、メガネ越しに澄ました顔しちゃってさ、お釣り受け取って『ありがとうございます』と言ってくださってはいるけど、無表情で、妙に他人行儀というか慇懃無礼というか……。あぁ…なんかムカつく、“こいつ”」
これが、わたしがこの“お客様”(こいつ)に抱いた第一印象であった。
約20秒程度の会計の間にこれだけの事を考えられるあたり、汗だくで顔が真っ赤であっても熱中症の心配はなさそうであった。
苛立つ気持ちを抑えて会計を済ませ、“お客様”(こいつ)を見送った。嫌味な程に輝いているあの車のナンバープレートが目に入った。
そのナンバーはなんと、“512”。そう、まさしく“こ(5)い(1)つ(2)”。
「ぁあ……!あいつ、ほんとに“こいつ”だった……!」等と訳の分からない言葉を呟き、車のリアガラスに手を掛けてこちらを見ている、私も、恐らくあの“お客様”も好きなのであろうアニメのキャラクターを、次のお客様から「すみませーん」と呼ばれるまで、ぼうっと見つめていた。
『出逢いは最悪』。まさにドラマや漫画の定番設定であった。
それから程なく日が経った頃、またあの“お客様”がいらした。
一度来ていただいただけのお客様を覚える、ということはあまりないのだが、“こいつ”の印象が強すぎて、車の特徴だけで分かってしまった。
「“こいつ”、また来た……」
「メガネを外した素顔が素敵」だなんて、また漫画みたいな定番の設定
が、いざその車が会計ブースに来ると、私は目を疑った。
以前ご来店いただいた時とは訳が違う。メガネをかけていない。そしてその横顔が……素敵すぎる。
なんてこった。「メガネを外した素顔が素敵」。ここでも、ドラマや漫画の定番設定に遭遇してしまった。
いや、実際どうなのだろう。その日は、数日前とは違い、快適な屋内での勤務であったから、気持ちに余裕があり、それゆえにその“お客様”の魅力に気付けたのかもしれない。目の前の“お客様”を、心から美しいと思った。
その後も、“お客様”は定期的にご来店された。過剰に意識してしまい、すっかり目を合わせることが出来なくなってしまったのはこちらの方であった。どんな人であるかも分からないのに、どんどん“お客様”の魅力にハマって行き、気付けば完全に恋をしていた。
そして、初めて会った日から2ヶ月後、私は、初めて“お客様”に話しかけた。ここから、仲良くなって、連絡先を交換して……等と、9月の終わりのあの日の私は想像もしなかっただろう。
「ドラマや漫画みたいじゃない?」と、誰かに話したら「夢見てんじゃねえよ!(笑)」とバカにされてしまいそうな話。
そんな誰にも言えないこの話は、「恋」として、今日も現実世界の私を幸せな気分でいっぱいにしてくれている。