こんなに話しやすいし居心地いいしいい子なのに、なんで彼氏ができないのかわからない。
これは私がよく男友達に言われる言葉。定番すぎて「それな!」しか返す言葉もない。
そもそもそんなにいいと思ってくれているならあなたが付き合ってくれたらよくない?とも思うけど、それとこれとは話が別らしい。
私は彼らにとって圧倒的”話しやすい女友達”であり、いわゆるいい人止まりの象徴みたいな存在なのだ。
仕事の愚痴も、恋愛についても、なんだって話せる。下ネタもOK。
以前は、そんな関係が信頼されている感じがして、その立場がとても居心地がよかった。本気で男女の友情は成立すると思っていた。
でも、年月を重ねて、結婚していく友達も増える中、それはただの自己満足だったと気付いた。「男友達の多い自分」というステータスを無意識に自分の中に構築し、そのちょっとした特別感に浸っていたのだ。それが彼らの特別でもなんでもないことは言うまでもない。1番の女友達は、1番大切で特別な女性にはなれないのだ。
自分で作り上げた「友達キャラ」が彼氏の存在を遠ざける
思い返せば、こうなったのは紛れもなく自分の責任だ。自分自身の発言・行動、すべてにおいて反省点が山ほど浮かんでくる。
元々恋愛経験が少ない私は、距離のつめ方を間違えた。自分のことをなんでも話して、気軽に飲みに誘えて、呼ばれたらいつだって参加する。
そうやって仲良くなることしか考えていなかったし、そういうポジションでいられることがうれしくて、「友達」という関係に甘えすぎていた。
時には好意を見せてくれる子もいたのに、きちんと向き合いもせず「友達だから」という理由で適当に流してしまったりもした。そりゃあ、こいつとは恋愛できないってなるわ。
そういうわけで、話しやすい女友達キャラ作り上げてしまった私には、なかなか彼氏ができない。正直、付き合わなくても、定期的に二人でも会えるような男の子がいれば満足してしまう部分もある。
女同士でわいわいやっているのも引くほど楽しい。趣味もあるから毎日充実している。
でも、いつまでもそんなことは言っていられないし、ふとした時にさみしくなる。
最近、いま私が熱を出したり、ケガをしたりして、すぐに駆け付けてくれる人なんて家族以外にいるのだろうか、考えることが増えた。
心配してくれる人は思い浮かぶ。でも私は、誰かに自分のことを投げ出してすぐに駆け付けてもらえるような存在ではない。
そこが、彼女になりうる女性と、女友達ポジションとの決定的な違いなのではないか、と。
私だって甘えたい時もあれば、泣きたい時もある
自分で言うのもおかしな話だけれど、私は人にわがままを言えないし弱いところも見せられない。できるだけ人に頼らないように、相手を困らせないように、そうやって生きてきた。だからこそなのか、よく人に「しっかりしてるね!」とか「ひとりでも毎日楽しそう!」とか言われることがある。そう、たしかにその通りで間違ってはいない。
でも本当は、私だって誰かに甘えたい時もある。弱音を吐きたい時もある。
ひとりでいると無性に寂しい帰り道があるし、人前で泣けるようにもなりたい。
家では全然しっかりしていないし、実らない恋をいつまでも引きずっているような、どうしようもない女だ。
自分で自分のキャラを作り上げてしまったがゆえに、いまさらそんな自分をさらけ出すことはなかなかできないけれど、少しはそんな弱い部分も見せてみたら何か変わるのだろうか。
誰かの大切な人になるために、変わる努力を続けていく
私が大切にしていることは、尊敬する方のモットーである「変わる努力をすること」だ。
また、あるドラマの中にはこんなセリフがあった。
「誰かの特別になりたいなら、特別になるための努力をしないと」
愛されたい、特別になりたい、そう言いながら受け身で待っていても何も変わらない。そんな自分になれるように努力は不可欠なのだ。いままでの反省点に気付いた今だからこそ、周りにいてくれる人を大切に、できることからひとつずつ頑張ってみようかな。
ドラマや漫画ではこういう時、実は私の本心に気付いて見守ってくれて、いざというときに助けてくれるヒーローみたいな男の子が出てくるけど、残念ながら今のところ私にそんなヒーローはいなさそうだ。
正解はわからないけれど、いつか自分の1番大切な人に、私のことも1番大切だと思ってもらえる日がくることを願って、明日からも変わる努力を続けていきたい。