ある秋。海外に住む初恋の彼から連絡がきてランチをすることに

その人は、私の初恋の人だった。
高校生のとき好きになった、同級生の彼。ピアノが上手で、星に詳しくて、ちょっと猫背で、話していて楽しい人だった。私から告白して、付き合うことになった。
演奏会や美術館、プラネタリウム、いろんなところに二人で出かけた。初めてのキスは、天体観測で泊まった夜の校舎の廊下だった。

彼が私の家に遊びに来たときは、部屋にあるピアノを弾いてくれた。鍵盤の上を走る長い指が奏でる、やさしい音楽を聴くのが好きだった。
でも、互いに受験勉強で忙しくなりだした頃からだんだん会う機会が減っていき、なんとなく関係も解消してしまった。

二人とも地元を離れて東京の大学に進学したから、たまに食事に行ったりもしたけれど、そのうち、お互いに恋人ができた。彼とは仲の良い友達でいられればいいと、思っていた。

社会人になってしばらく経った、ある秋。海外で音楽を学んでいる彼から、一時帰国すると連絡があった。私も勤め先から帰省していて、地元の川沿いに建つ店でランチをすることになった。

思わず触れた彼の手。重ねられた唇は、変わらない懐かしい味がした

久しぶりに会った彼は、やっぱりちょっと猫背だった。海外での生活のこと、新しく取り組んでいる音楽活動のこと……話は尽きなくて、食事が終わって店を出てからも、河川敷に並んで座っておしゃべりを続けた。

日が暮れかかってきても、なんだか名残惜しくて、二人とも腰をあげられずにいた。
「……もし、私たちがあのまま付き合ってたら、どうなってたんだろうね」
私は、私の右手のすぐ隣に置かれていた彼の左手の長い指に、思わず触れてしまった。しばらく手と手を重ねていたあと、彼は静かに私のほうに向きなおり、そっと私を抱きしめた。

背中に回された彼の手にだんだん力がこめられるのを感じて、私もしがみつくように抱きしめ返した。
もしかしたら、私はこの人のことを、ずっと、好きだったのかもしれない。
重ねられた唇は、初めてのときと変わらない、懐かしい味がした。

数日後。外国に戻る前にもう一度会いたいと、彼は私の住むところまで足を運んでくれた。
夜、少し車を走らせて、街の灯りが届かないところで車を停めて、二人で空を見上げた。
そこは、東京よりも、私たちの地元よりも、星がよく見えるところで、彼は嬉しそうにたくさんの星座を教えてくれた。

彼の身体を初めて感じた夜。私は彼のことをまた思い出してしまう

一人暮らしの部屋に彼を招き入れて、夜の空気で冷えた身体を温めあうように、私たちは抱き合った。付き合っていた高校生の頃は重ねることなく終わり、この先も重ねることはないであろう、彼の身体を、この夜はただ、私の身体いっぱいで、感じたかった。
「このまま、時間が止まったらいい」
私が思っていたことを、彼が言った。それが難しいということを、私たちはわかっていた。
「本当は、別れてからたまに会った時も、毎回胸が苦しかった」
彼は続けた。
「もし、あのまま付き合っていたとしても、うまくいかなかったと思う。思いが、強すぎて」

「そうかもしれないね」と、私は答えた。そう思いこむほかに、二人の現状を受け入れる方法が見つからなかった。

彼は外国へ発ち、私にも日常が戻ってきた。そう遠くない将来、おそらく私は今の恋人と結婚することになるだろう。
それでも、夜空の星を見上げたとき、あるいは、ピアノの音を聴いたとき、私は彼のことを思い出してしまうと思う。