料理することも、食べることも好きだ。

でも特別誰かに料理を教わった事はなく、見て、調べて覚えたことの方が大半で、自分はかなりの我流だと思う。そんな私が重ねてきた歳月がもうすぐ30年目に突入するのだが、蓄積してきた記憶の中で色濃く残っている味が二つある。

祖母が作るミートボールを食べたくても、誰にもあの味が出せない

一つ目は亡くなった父方の祖母のミートボール。
祖母は「清貧」を座右の銘にしていた人で「自分が食べるものくらいは作りたい」という信念を持っていた。祖母の実家は門番がいたぐらいの家だった。その祖母は、屋号に「御」がつくぐらいの名家に嫁いだものの(つまり私の実家)、戦後には没落貴族の仲間入りをしてしまった。
それでも、実家はそれなりの農地を有していたので、生活のために農業をするようになり、祖母は子育てをしながら必死に働いた。晩年の祖母は、大きく湾曲した腰が目立つ姿だったが、いつも動き回っていた。家族の誰よりも勤勉で、誠実で清貧な人だった。

そんな祖母は野菜と米、そこに卵と魚のタンパク質を摂取する人で、肉は好まなかった。でも、数少ない肉のレパートリーは存在した。中でも私はカレー粉をまぜた鶏の唐揚げと大きめにカットした玉ねぎと生姜が効いたミートボールが幼い時から大好きで、母が当直勤務で不在の時や私が高校の寮から帰省する度に作ってくれた。

中でもミートボールは市販の甘酸っぱいタレが絡んだものではなく、丸めた肉ダネに片栗粉をまとわせてただ揚げただけもの。アツアツのできたては外側がカリッとしてて、中はほっくり。それにケッチャプと中濃ソースを半々で合わせたソースを各自で付けて食べていた。
祖母の味は母には出せない、独特なものだった。

たまに食べたくなって自分で作ったり、気まぐれに母や叔母が作ってくれたりもするが、やはりあの味が出せない。祖母が亡くなってもうすぐ5年。私の誕生日の前日で山梨県民の日に亡くなった。
祝日、つまり勤め人が休みの日に亡くなるなんて「最後まで他人に迷惑をかけない人だった」と、家族皆が口を揃えてそう言った。

寮監さんが生地から作るアップルパイは、目を見開くほどのおいしさ

もう一つの味は私が3年間過ごした高校の寮生活での味。寮監さんのアップルパイだ。
とても料理が上手な人で、秋の夜長に夕食後の時間帯を使って、毎年お茶会を企画してくれていた。お手製の栗のクリームに、みんなで作ったパンケーキやクレープ。トッピング用の果物や生クリーム、アイスクリーム。そこに生地からしっかり作ったアップルパイが並んだ。
とことん楽しむのが好きな人だったので、妥協しない質のいい紅茶も用意してくれた。この紅茶とアップルパイの相性が最高過ぎて今でも思い出す。ブランデーでのばしたアプリコットジャムを塗ったことで艶と香りを増幅させた香ばしいパイ生地、中にはシナモンが効いた煮リンゴ。風味が強いアールグレイと交互に口にするたびに味のパンチが強くて、目を見開いた。

パイ生地から作るなんて当時の私は衝撃的で、お菓子作りがマイブームだった時期でもあり、時間を見つけて作り方を教えてもらった。とても簡単、でも気長に作らないと失敗するのがパイ生地。ワンシーズンに何度か作ってようやくコツをつかめた。

会うことは叶わないけど、また思い出したくて”作りたい”と思える味

それ以来、毎年一回はこのパイ生地を作り、当時の事を思い出す。今では甘く煮たリンゴやかぼちゃを入れることもあるし、キッシュにも使った事もあるパイ生地。そんなことをぼんやりと思い、今年もそろそろパイ生地でなにか作ろうか……と、合わせる食材を考えはじめる今日この頃だ。

パイ生地の師匠は私が高校を卒業してから数年後、寮監を退職してしまったが、事前に情報を得られたので年度の終わりに高校に会いに行った。
高校の食堂の夕食を一緒に食べながら、ほんの少しの時間お互いの事を話した。いろいろと迷惑をかけたこともあったが料理以外にも裁縫や体のことも教えてもらった。
寮監さんは新しい事に挑戦すると話していたのだが、最後までその内容を教えてくれなかった。今ごろ、どこでどうしているのかな。

秋の寒さが増してくる11月の半ばにこの二人のことを思い出す。食欲の秋らしいかもしれない共通点に、ふと思い出すとなんだが胸があたたかくもなり、切なくもなる。二人に会うことは叶わないけど、あの頃をまた思い出したくて“作りたい”と思える味があることって、人生の大きな財産になっているとも思う。