あの日に戻れたら、私は答えられるようになるだろうか。
伝えたかったことなんて、ありがとう、か、ごめん、に尽きるとおもう。たぶん人間なんてそんなもの。私だってそうだ。

正解はいまだに分からない。自分のことしか考えていなかったから

でも、言葉ならともかく行動は、それこそ取り返しのつかない程度がはかれない。どうしたって戻れないときがある。それが楽しいときかもしれないし、苦しいときかもしれない。
なんにせよ悔やんでばかりもいられない。それでも、ふとした瞬間におもいだすことは仕方がない。記憶は人生の証拠なのだから。

あの日の正解はいまだに分からない。
私が自分のことしか考えていなかったから。
もっと想われた分だけ思っていれば。
たられば話なんて無駄なことなのに、失くしたものが自分にとって大切なものであればあるほど、逃避のためなのか意味のないことをしようとする。
いつかは向き合って乗り越えなきゃいけないことなのに、時間稼ぎばかりすると子供のときのことを大人になってもひきずっていたりするから、よろしくはない。

病気とは縁遠そうな祖母。本当はすぐそこまで病気が近寄っていた

当時、小学生の私は、朝だか昼だかなんともいえない頃合いから同居していた祖母とおでかけをすることになっていた。
向かった先は、バスと電車を乗り継ぎ約30分程度で着いてしまうような距離にある、デパートの屋上にこじんまりとしているゲームセンター。年齢のわりに元気な祖母は背筋がぴんとしていて、病気とは縁遠そうに見えていた。
でも、その日だけは頭が痛いと、何度か繰り返していたことを覚えている。もうすぐそこまで病気が近寄っていたというのに、なにが縁遠そうだったんだろう。

休憩がしたいから、と人通りがそれなりにあるところでしゃがみこむ祖母に、いつもの元気さはもうない。夕方にさしかかり、夜ご飯はどうしようかなどと話をしていた頃合いにしゃがみこんでいた祖母が、いきなりその場に倒れ込んだ。
たまたまその場から歩いていける距離に母親の職場があったため、私は全速力で走った。呼びに行っている間の祖母のことは、通りがかりの人の中に看護師さんがいたため、その人に任せた。
母親の職場に着いて祖母が倒れたことを知らせて、職場から駆けつけた母親と私が祖母のもとに辿り着く頃には救急車も着いていた。乗り込んで連れ添って、それからのことは朧げだ。ただ、医者から言われた病名はくも膜下出血で、もしも、を私が考えたところでどうしようもない状況だったことだけは分かりきっていることだった。

わるい人の大丈夫は信じられない。いい人の大丈夫は信じたくない

祖母は知り合いが沢山いて、亡くなったあともまるでそこに祖母がいるかのように賑やかだったけれど、なんだかそれが余計に祖母がそこにいないことをつきつけられているようにもおもえた。
その雑音ともとれる言葉の中には、私への励ましなんだろうが責めにも聞こえる言葉が混ざってて、あなたのせいじゃないからね、って言われたところで私には返す言葉も分からず、いい人だった祖母の知り合いはいい人ばかりだけれど、なんだか私はあの日からわるい人になった気がしている。

「自分なら、大丈夫だから」
私は、大丈夫、と言われると気になってしまうし疑ってしまう。本人が言ってることだから、信じようとしても本当に大丈夫なら大丈夫とは言わずにもっと適切なことを言うのではないだろうかと。もうどんな嘘にもひっかかってなんかやらない。

わるい人の大丈夫は信じられない。
いい人の大丈夫は信じたくない。
いま、私が言う大丈夫を聞いた人がどうおもうのかは分からない。そして、あの日が間違いなのかも私にはまだ。