ようやく朝夕が涼しくなってきたある日、父方の祖父が亡くなった。脳卒中だった。
入退院を繰り返しているとは聞いていたから、「もうそろそろかもしれない」と覚悟はできていたけど、いざ知らせを聞いたときは、身体中の血液が冷えた。父が先に向かい、私と一緒に向かった母は、見たことのない顔色をしていた。

幼い頃、盆と正月はきまって家族で祖父母の家を訪れていた。
「おお、おかえり!」
祖父は、いつも満面の笑みで出迎えてくれた。大きな魚を大きな包丁で捌く姿がかっこよく、ビールとお刺身が大好きで、祖母想いのとても優しい人。昔はとても頑固で厳しい人だったと聞いていたが、小さい頃はとても信じることができなかった。
しかし、その頑固さを後に知ることになる。

2人暮らしが厳しくなった祖父母が、両親の住む実家に引っ越してきた

ある年、離れた土地に暮らしていた祖父母が、両親の住む私の実家に引っ越すことになった。80代も半ばに差し掛かっていて、そろそろ2人暮らしも厳しくなってきたからだと。当時県外でひとり暮らしをしていた私は、これからは2人にも会いやすくなるな~と軽い気持ちでいた。
私は実家に帰るたび、祖父母の部屋を訪れた。祖母とは他愛もない会話ができたが、祖父は特に耳が遠くなっていて、自然と声を張って喋るようになった。怒鳴るような大声になっても聞き取れないようで、最後は困った顔で苦笑いをしていた。
母は、開口一番に祖父母の話をするようになった。耳が遠く、コミュニケーションが取りづらくなった祖父は怒りっぽくなり、夕食は部屋で一人ビールとお惣菜で済ませるようになった。祖母は祖父の機嫌を損ねまいと、自分に無理難題を言ってくると……。

長い間別の場所で暮らしていたのに、いきなりひとつ屋根の下で暮らし始めたとなっては、すぐに歩み寄るのは難しい。結果的に歩み寄れないことの方が多いと、頭では分かっている。でもいざ目の前で繰り広げられると、そう簡単に受け入れることができなかった。
戸惑いと悲しみを覚えながらも、母の話を聞くことしかできなかった。

大声の両親、どこか小さく見える祖父母。もう、あの頃には戻れない

数年後、祖父母はもともと暮らしていた土地に帰っていった。
引っ越しに父が同行することになり、私と母が空港まで見送りに行った。
空港を出る直前、時間になってもまだ準備ができていなかった祖父母に、両親が怒り出した。いや、本当は怒っていなかったのかもしれない。耳の遠い祖父母に伝わるように大きな声を出しただけなのかもしれないけど、私は耳を塞ぎたくなった。
大声の両親、どこか小さく見える祖父母。
もう、戻れない。幼いときの、漁師だった祖父が魚を捌き、母が横に並んで手伝いをしていた頃には。この4人の顔を同時に見るのは最後なのかもしれないと、そのときなんとなく感じた。
空港では車椅子の方が疲れなくて済むからと説得させ、母が祖父の、私が祖母の車椅子を押した。私はいつになく明るい声で、祖母に話しかけ続けた。
「よかったね、あっちには知り合いもたくさんいるよね」
「きっとすぐに過ごしやすくなるよ」
「また遊びに行くから、元気にしててね」
祖父には最後、なんと声をかけたか覚えていない。

お通夜後、親戚一同の夕食には祖父が愛飲した辛口ビールを

斎場の真ん中で、たくさんの花に囲まれた祖父をぼんやりと眺める。
晩年は頑固のあまり周りの人を困らせていたと、時には傷つける言動だったことも知っている。それでも思い浮かぶのは、祖母想いで孫に目がない優しい祖父だ。幼い頃、帰るたびにたくさんのご馳走や、お菓子を用意して迎えてくれた。大好きなビールを飲んで顔を赤くし、楽しそうに笑っていた。どんなに耳が遠くなっても、「身体には気をつけるんだよ」と気にかけてくれた。私は、それが本来の姿だと信じている。

斎場で、母の顔を見た途端に泣き出した人がいる。事の経緯を知っている大叔母だ。
「最期の方に見舞いに行った時はね、アンタの名前も言ってたのよ。申し訳ないと思ってたんだろうねえ」
「ええ、そうだったんですか」
おいおいと泣きながら告げられ、母は涙声で返していた。その声色に、思わず目頭が熱くなった。
過去の言葉や行動は、消せない。許せなくて、いつまでも心の底に残っていることだってある。こんな形になってしまったけど、最後の最後に祖父と母は、少しだけ歩み寄れたんじゃないだろうか。母の表情は見えなかったけど、私は大叔母の言葉に救われた。

お通夜の後、親戚一同で夕食をとった。冷蔵庫で冷えていたのは、祖父が大好きだった辛口のビール。今までは避けていた銘柄だったが、あえて選んだ。その日は初めて美味しいと感じた。きっと二度と、あんなに美味しいと思える日はないだろう。
「いやあ、こんな機会を作ってくれたじいちゃんに感謝だね」
誰かがポツリと呟いた。