「うめえか?」
「おいしい!!」
「そうか~いっぺえ食え!」

口に入れると汁が溢れ出す大根、クタクタになってちぎれそうなちくわ、柔らかくて甘いにんじん、色の変わったはんぺん、味がしみこんだぷるぷるのこんにゃく……。

20年近く食べ続けた私の忘れられない味、それは、おばあちゃんの煮物。

煮物が大好きな私といつも煮物を作って待ってくれていたおばあちゃん

春夏秋冬、我が家の長期休みの一大イベントはおばあちゃんの家に行くことだった。そして、私の一大イベントはおばあちゃんの煮物を食べることだった。幼い頃から私が煮物をばくばく食べるもので、おばあちゃんは必ず大きなお鍋いっぱいに煮物を作って待ってくれていた。

毎日少しずつ味が染み込んで、どんどん美味しくなる煮物を毎食食べていた私。「おいしい!おいしい!」と言いながら口に運び続ける私の食べっぷりを見て、おばあちゃんは「本当に煮物が好きだいなあ」とニコニコしていた。

食べきれなかったらお持ち帰りまでしていたおばあちゃんの煮物は、真似しようとしても決して作り出せない。母も「おばあちゃんの味は出せないよ」と言う。

大好きな煮物の隠し味は、野菜を毎日世話するおばあちゃんの姿で…

具沢山の煮物には畑の野菜がたくさん入っていたが、寒暖差のある山の中で育った野菜は甘くて、柔らかくて、美味しさがギュッと詰まっている。寒さで縮こまった採れたての野菜たちは台所へ運ばれ、これまた冷たい山水で洗われたあと熱々のお湯の中に入れられる。

すると、お風呂に入ったときについ漏れてしまう「はあ~」という野菜たちの声が、お鍋の中から聴こえてくるようだ。
縮こまった身が解され、野菜の旨みがお鍋いっぱいにぶわーっと溢れ出す。長い時間グツグツと煮込まれ、おばあちゃんの絶妙な味付けによってほんのり甘い大好きな煮物ができあがる。

しかし、この煮物にはとっておきの隠し味がある。それは、お鍋の中でグツグツと煮込まれる野菜たちを毎日せっせとお世話するおばあちゃんの姿だ。
暑い夏も、寒い冬も、雨の日も、どんなときもおばあちゃんは畑にいた。庭で遊びながら、ときにはおばあちゃんのいる畑の片隅で遊んだりお手伝いをしながら、腰を曲げて土をいじる姿をずっと見てきた。味とともにたっぷりしみこんでいるその背景こそ、誰にも真似できない美味しさの秘密である。

誰がどこで、どう作っているか。その情景こそ忘れられない味になる

いつからか、「おばあちゃんの煮物食べたいなあ」とふと思うと、畑仕事をしているおばあちゃんの姿が頭に浮かぶようになった。誰が、どこで、どのように作っているのか。その背景をすべて知っているからこそ自分とって特別な食べ物で、今でも忘れられない味の記憶。

おばあちゃんが亡くなって10年。煮物を食べられなくなって10年。20年近く食べ続けたあの味は、今でも野良着にエプロンの元気な姿とともに私の中に刻まれている。
食べたいけれど食べられない私の大好物。
それは、覚えているのに決して作り出せない味だけど、いつか自分も「いっぱい食べな!」と言えるくらい喜ばれる煮物をつくりたい。もちろん、とっておきの隠し味も一緒に煮込んで。