知らない人と長電話した。4年続いた片思いに終止符を打ったあとだった。
恋をする馬力は有限だ。電話相手は今思えば他にもいたけれど、その頃はしばらく家に缶詰で、少しくらい遠くへ行きたくて通話アプリとやらに手を出した。

通話アプリで知り合った彼。少年のような少し緊張した声

年上のサラリーマン、トラックの運転手。知らない人との世間話は思ったよりも退屈で空虚な気持ちにさせた。
スーパーで買ったゴーヤチャンプルーとカニカマをつまみにお風呂あがりのビールを呑んで、夜中の1時に何をしているんだろう。一連の流れが悲しくて、さっさと電話を切りたくなった。

1日の締めをどうにか良いものにしようと、晩酌に付きあってくれたiPhoneの充電器を探しながら、最後の1人に賭けた。
「初めまして。どうも」
その日1番くせのない、少年のような少し緊張した声をしていた。
「はー」だったか「ふー」だったか、そのあとこぼしたひとり言で見事にハモってしまった私たちはケタケタ笑って、ネットワークによって突如現れる点と点との出会いにも運命はあるんだ、と酔ったことを思ったりした。
「呑んでますか?」と聞かれた時、多分この人は年下だろうと勘づいて、お姉さんという生き物への夢を壊したくなくて、テーブルの上の物は内緒にしておいた。

顔も知らない彼と「また明日」を続けた、初めての恋の在り方

聞けば聞くほど、まだ聞いていたい声だった。次の日もその次の日も。顔も知らない人との耳障りのいい長電話は、窮屈な一人暮らしの日課になっていった。

声と声だけの付き合いだったその人には本当の名前は言わなかった。今日食べたご飯の話や仕事場に来た変なお客さんの話、友達には言えない秘密の話もした。
どうせ会わない聞き上手のその人には、何でもかんでもすらすら吐き出せた。そうして生まれた不思議な信頼は、初めて出くわした恋の在り方だった。
会ってみたいと何度も思ったけれど、絶対にまだ会えない理由が私にもその人にもあった。不具合に板挟みされた感情はまっすぐまっすぐ育っていった。

顔も名前も知らない者同士、電話するのをやめてしまったら、奇跡的に道ですれ違ったとしてもその人だなんて気付くわけがない。いつ切れてもおかしくない電話ひとつで繋がった糸は、手繰り寄せるには細くて、ぷつんとなかったことにならぬよう「また明日」を続けるしかなかった。
はたから見れば信じられない話だろうけど、まだ会えない理由があった私たちは、顔も名前も知らないくせに懲りずにお互いを思い続けていた。知り合った頃と違っていたのは、そろそろ会えるかもしれない人に変わっていた事だった。
あともう少し、あともう少し。

まるで神隠し。何の知らせもなく、私の前からいなくなった彼へ

そうやって来た、1年前の冬の朝。いつものようにおはようと文字を打とうとiPhoneを開くと、いつもの見慣れた連絡先は消えていた。その人は何の知らせもなく、私の前からいなくなった。

日常が少しずつ戻ってきた。まるで神隠しにでもあっていたかのようなこの話を、人に話せるほどにはなってきた。きっと何かの間違いで引き寄せられ、巡り会ってしまったその人も、ちゃんと遠くないどこかで生きているんだろう。

「ゴーヤチャンプルーとカニカマとビール」。ひとりの夜のおすすめメニュー。ちゃんと安くてヘルシーだから、一度くらい試してみてね。
ちゃんと大人になってお酒が飲めるようになったら、一度くらい思い出してね。忘れられない、あの頃の味。