高校生まで、「恋は盲目」は、ただの比喩表現だと思っていた。しかし、後にこの言葉が比喩表現ではないと気づく。

高校生までの私は、真面目だった。制服を着崩したことはなく、スカートは膝下、リボンは隙間なくキチキチに、髪ゴムは黒、靴下は無地。校則は必ず守った。家でも親の言うことはほとんどのことを聞き、従ってきた。周りからも「真面目だね」と言われるほどだった。

理想の男性像とはかけ離れているのに、私は彼に惹かれていく

しかし、ある1人の男性と出会い、私の真面目さは変化していった。
大学に入学し、パソコンを購入した。そのパソコンのゲーム内で1人の男性と知り合った。ゲームのコメント欄でメッセージのやりとりをしていくうちに、少しずつ彼に興味を持つようになった。
その後、不安はあったがメールアドレスを交換。ゲーム内でやりとりするよりもスムーズに連絡を取り合えるようになった。彼とのやりとりが楽しかった。気づけば授業が終わるたびにメールの確認をし、彼からのメッセージがないか確かめていた。
ある時、彼から「会ってみないか?」と提案され、とても迷ったが会ってみることにした。
初めて会った彼は特にかっこいいわけではなかった。話した感じ、賢くもないし、収入も多くない。真面目そうな感じもなく、どこか抜けていて、不真面目そうにも見えた。さらに年齢は私より一回り上。
私の理想の男性像とはかけ離れていた。それなのに、自分にはないものを持っている彼に惹かれていった。

親にバレずに彼とこっそり長電話するために、いろんな方法を考える

彼との時間を増やすためにいろんな方法を考えた。しかし、私は大学の授業にバイト。彼は仕事。会うことは難しい。
そこで会うことはできなくても、お互いが近くに感じられる通話をしようということになった。

けれども、私は自分の部屋がなかった。長電話をしようものなら、「いつまでやってるの?!」と親に止められてしまう。だから私は通話をこっそりすることに決めた。バレない場所、バレない方法で、彼とつながる。
まずはお風呂。誰の邪魔も入らない。次に布団の中。かなりの小声になるが、その小さな声がいいのか、彼は時々笑っていた。布団の中で通話していると、お互い繋いだまま寝てしまうこともあった。「おはよう」の声で起きることもあった。
その時に、私って意外と真面目じゃないんだということに気づいた。

裸足で飛び出す午前0時の私。真面目な私はどこへいったのか

そして極めつけが、裸足で飛び出す午前0時の私。
仕事や学校で昼間会うことのできない私たちは、夜中にこっそり会うことにした。
しかし、私はバイトまで制限されるほどの門限の厳しい家庭だった。真夜中に外に出るなんて許されるわけがない。
さらに、こっそり出るにしても我が家のドアは鍵のガチャっと開く音、ドアのガチャンと閉まる音が大きい。起きていたら確実に気づく音で、寝ていても起きることがあるくらいの大きさの音だった。
そんな家から飛び出すために私は1つの方法を考えた。
「ドアに自分の靴を挟んで出ること」
ドアのガチャンの音を立てないために、0時の鐘の音とかき消されるようタイミングを見計らって裸足で飛び出す。靴がドアに挟まっているため、私は夏でも冬でも靴下で外へ飛び出した。
彼は彼で、車のエンジン音でバレないように少し離れた場所に車を止めていたので、私は裸足で身一つで彼の元へ駈け出した。警察に見られでもしたら補導されるレベルだったと思う。
真面目な私はどこへいったのか……。それでも私は午前0時に裸足で飛び出すことをやめなかった。
彼も県を超えて私に会いにきてくれている。それに応えたい。その一心だった。
「出てくるの大変なんだからね」と言いつつ、笑みがこぼれる私。頭をポンポンされて「足汚れちゃったな」って笑う彼。そんな彼が愛おしかった。

真面目な性格をも変えた恋の力は偉大だ。自分を突き動かす力となる

価値観が合わなくなり、その後別れてしまったが、恋は私の真面目な性格をも変えた。
恋の力は偉大だ。
自分を突き動かす力となる。
たとえその恋が実らなかったとしても、誰にも言えない恋であったとしても、恋って自身を大きく変化させるものだと思った。
そして、あの時の行動が間違いではないと思えた。自分の気持ちに正直に動いた。自分に嘘をつかなかった。自分らしく行動できた。
だから、恋ってステキなんだな。