「お疲れ様です。お母さんが、亡くなりました」
2011年4月10日、チームメイトからメールが届いた。高校2年生のクラス替えをして3日後のことだった。

「助けて」お通夜で一瞬みせた彼女の表情。私の直感が働いた

彼女のお母さんが、試合を観に来たときのことを覚えている。
元々体調が悪く、他の保護者より大人しかったが、誰よりも嬉しそうに応援していたのは一目瞭然だった。私とは正反対で、感情が表に出なく、何を考えてるか読めない彼女だが、その日はすごく嬉しそうだった。
親子なんだなぁ~と高校生ながらに感じた。そして彼女の甘えん坊な一面を知った日でもあった。そこから1年も経たないことだった。

メールが来て以降、彼女に会うのは、彼女のお母さんのお通夜に参列したときだった。参列者に黙礼する彼女を遠くから見つけた。いつも以上に感情が読めない表情をしていた。こんな時でも正反対で、私のほうが泣いていた。
焼香の番が徐々に近づいてくる。黙礼する彼女が段々と近くなる。やっぱりいつもの彼女だ。焼香をあげる。黙礼する彼女と目が合う。一瞬、彼女の表情が崩れた。私は感じた。彼女が「助けて」と言っていることを。私は泣きながら、「彼女を助けなきゃ」と直感が働いた。泣きながらだが、この一瞬だけは頭が冷静だった。
列を抜けたあと、心配で振り向くといつもの表情が読めない彼女に戻っていた。
最後まで正反対で、私は情けないくらい泣いていた。

帰宅後、母が昨夜のご飯を、温めて出してくれた。
昨日よりも味の染み込んだ、全体的に茶色い肉じゃがだった。
私も母も、無言だった。
正直、食事を喉に通す気力もなかった。
部屋で一人で泣きたい。親の前でまで泣きたくない。高校2年生だが、反抗期の気質は若干残っていた。
だけど、ここで食べなかったら怒られる事を知っている。渋々箸を持った。

お箸が止まらなかった。母の味が体と心に染み込んできた

「……いただきます」。ポツリと私の声が響く。
ラップを取ると湯気がモクモクと湧きあがった。
母の味だった。いつもの、甘口濃いめの母の味。
「…おいしい」。自然と口から出た。
食欲なんて湧かなかった。
なのに、お箸は止まらなかった。
さっきまで号泣していたとは思えないくらい、無心で食べた。
体に肉じゃがが入る度、言葉に出来ない気持ちが、少しずつ、少しずつ溶け込む気がした。
一晩寝かせて味が染み込んだ、母の手作りの肉じゃが。いつもの味。優しい味。

「……友達の親が亡くなるって、初めてだ……」
肉じゃがを食べながら、独り言のようにつぶやいた。
「あの子、普段とあまり変わらなかったよ」
何を食べても味はするのに、肝心のお肉が見つからない。
「だけど、一瞬助けてって顔してた」
一晩経って歪になった、柔らかいジャガイモ。 

美味しいのに哀しい時間。思い出すのは、お通夜で見た彼女のこと

「……肉じゃが、全部たべちゃうよ」
噛まなくても飲み込めるような、茶色くなったクタクタの玉ねぎ。
美味しい。美味しい。全部美味しい。
だけど哀しい。

「お母さんのご飯、あの子はもう一生食べることが出来ないんだよね」
ご飯にかけたくなるくらい、濃口の甘いお汁。
「私は今も、こうしてお母さんのご飯を食べてるのに」
お皿が空になるときは、涙で机が濡れていた。
母の味って、ずるい。

「私は彼女に何ができるんだろう」最後まで母は黙って聞いていた

お通夜での彼女の本心は、私には今でもわからない。
ただ、試合を見に来てたお母さんの笑顔と、彼女が嬉しそうにしていたこと、それだけでお母さんが大好きな事が十分わかっていた。 
感情を出すことも、周りに助けを求めるのも苦手な彼女だ。
そんな彼女がこれから背負う哀しみを考えるだけで怖かった。
彼女を助けたい。彼女の感じる辛さを少しでも和らげたい。だけど、何をすればいいかわからない。
私の母は生きているが、彼女のお母さんは実在していないからだ。
私の当たり前は、彼女の当たり前ではなくなってしまった。
彼女は二度とお母さんに会うことも、触れることも、母の味を頬張ることもできないのだ。
いくら彼女の心配をしても、同じ立場ではない私が、どう彼女を助けられるのか。
どんな言葉も、どんな行動も、それは「同情」に変わってしまうのではないか。私のお通夜での直感はただの自己満足に繋がるのではないか。
「彼女を助けたい」この気持ち自体が浅はかすぎるのではないか。

母親が亡くなることの怖さ、悲しさを、高校2年生の私なりに痛感した。
皮肉にも母の手料理を食べながらだが。
「私は彼女に何ができるんだろう」
高校2年生の私には難題すぎた。
最後まで母は黙っていた。

毎年彼女の母に贈るお花。家族ではない私ができること

あれから11年経ち、私たちは28歳になった。
高校2年生の難題、「彼女に何ができるか」の答えは今もわからない。きっと一生わからない。
だけど、毎年彼女のお母さんにとびきり綺麗なお花を渡している。これだけは何があっても続けていく。
「もう11年経ったね」そう言える相手が家族以外にいるだけで、少しでも、ほんの少しでも、彼女の心が軽くなるのなら。それだけで私は十分だ。
このことはSNSに一度も載せていない。誰かのいいねなんて必要ない。
彼女の笑顔が見れたら、それだけで嬉しいからだ。
私たちだけの、毎年4月のわかりきったサプライズ。これからもひっそりと続けていく。
余談だが、なぜ初めてこの一件を発信したのか。それはお題を見たとき、また直感が働いたからだ。今の私なら、形に残る文章で気持ちを伝えられるのではないか、と。私は目の前で彼女に読んでもらうと決めている。たまには本物のサプライズもありでしょう。
これを読んでくださってるあなたにも、ご協力いただけると嬉しいです。

11年の間に、肉じゃがは彼女に作ってほしい料理の代名詞になった。
だけど私には、人の哀しみに寄り添う料理の代名詞だと思っている。
未来の恋人が落ち込んでいたら、私はそっと肉じゃがを作るだろう。
母の味ではなく、「彼女の味」としてだが。

今では肉じゃがをたべると、笑顔になる。
次はどんなお花を渡そうか、彼女はどんな反応をするだろうか、想像するからだ。
毎年嬉しそうに受け取ってくれる彼女は、年々お母さんに似てきている。
あの時、試合を観てたお母さんのように。