お母さんのお弁当は大体同じものが入っていた。出汁がきいた卵焼き、ミニトマト、ウィンナー、小ちゃい四角のチーズ。冷凍のグラタン、まるい鮭フレークを混ぜたおにぎり。

たまに日替わりで唐揚げとかミートボールとかが入ってくる。これは気まぐれで変わるけど、前の日のおかずとかが入ってくることもある。
とにかくパッと浮かび上がる、それがお母さんのお弁当。

学生時代、希望通りのお弁当を作ってくれたお母さんに頭が上がらない

思い返せば学生時代のほとんどをそのお弁当に支えられていた。

幼稚園の時のまだちっちゃいお弁当。
小学校の時の遠足、運動会、校外学習。
中学校の時の部活の日、大会、体育祭。
高校になると給食がなくなったので毎日お弁当を持っていった。

お弁当のことで揉めた日も何度かあった。友達のお弁当を羨ましく思ってキャラ弁を希望したりだとか、おかずに文句を言ったりだとか、ダイエット中だからサラダにしてとか。

その度にお母さんは一瞬面倒くさそうな顔をするものの、最終的には折れて希望になるべく沿ったお弁当を作ってくれた。

今考えると本当に頭が上がらない思いだ。

大学は都内の学校に進学したので、一人暮らしをはじめた。
そのうちに恋人が出来て、同棲をはじめて、自炊もちょくちょくするようになって。
バイトや課題、講義に追われてなんだかんだで実家には一年に一回、年末年始の帰省だけするくらいになっていった。

お弁当を作る当日、あまりの面倒くささと難しさに、愕然とする

ある日ふと、お母さんのあのお弁当が食べたいなと思った。
普段お弁当なんて作ったこともないけれど、恋人を連れてお弁当を持ってピクニックに行くことにした。
お弁当くらい作れるでしょ、自炊してるし。なんて高を括りながら、いざ当日愕然とした。

まず、卵焼き。朝から作るの面倒くさすぎる。出汁を取って醤油とみりんと味の素と卵を混ぜて巻いて、焼く。
うまいこと四角にならないし綺麗な断面にならない。
まるい小さいおにぎりもわざわざ鮭フレークを混ぜ込む手間があるし、意外と難しい。
唐揚げとかミートボールとか油も出るし、タレも多くなってしまうから野菜をしかなければいけない。

あと、なんといってもお弁当におかずと野菜とご飯を上手く詰め込む作業、これが最大の難関すぎる。
そもそも、私自体は小食だからかなり苦労して食べられる量だけ入れてくれていたのだとその時にはじめて気が付いた。
そんなこんな一時間以上かけて出来たものは苦労に見合わず、お弁当というにはあまりにも彩がない。正直ただ、詰め込んだだけの物体が出来上がって、浮かれない気持ちでピクニックに行った。

私が入れても同じはずなのに、お母さんが作った方が何十倍も美味しい

それからしばらくして、実家に帰った時にその微妙だったお弁当のことをお母さんに伝えたら、ものすごい笑われた。
そして、久しぶりに作ってくれることになった。

お母さんのお弁当捌きは見事だ。同時進行で野菜を詰めたりレンジにかけたりフライパンで調理したりと、あっという間、洗い物まで済ませてしまう。手が何本あるのかと突っ込みたくなるほど鮮やかにお弁当に詰めていき、ものの15分もかからずにいつものあのお弁当が出来上がった。

あの時食べてたものと違ってすぐ出来上がってすぐに食べたお弁当の味は、どこか特別で美味しかった。
考えてみれば冷凍のものも多い。焼いただけのウインナーやミニトマトなんかは私が入れても同じなはずなのに、どうもお母さんが作った方が何倍も、何十倍も美味しい。
恐るべし、参りましたと私が告げると長年の慣れってやつだよとお母さんは得意げに笑ったのだった。

いつか私にも慣れる日が来るのだろうか。

今はまだ慣れない上に不恰好なお弁当だけど、そのうちにいつものあの味と言われるお弁当を作れる日が。

私にとって忘れられない味をそのまま作ること、これが当面の間の目標かも知れない。

いつか恐るべしと思われるお母さんの味に私もなりたい。