ダマスク模様の白い壁に、豪奢な金糸の縫いが施されたロイヤルブルーの重厚なカーテン、ロココ調の本棚とテーブルと椅子が置かれた小さな部屋が、私に与えられたワンルームだった。
いわゆる妾宅、美しい生きた人形を閉じ込めておく、宝石箱のような牢獄である。私は綺麗なものだけを寄せ集めたそのドールハウスともいえる部屋の中で、半年間死んだように生きた。これは、私が一人暮らしをした半年間と、その後実家に出戻った話である。

両親から逃げたくて一人暮らし。衣食住が保証された暮らしは「虚無」

両親から、逃げたかった。何不自由なく生きてきたはずだったけれど、両親から愛された実感を抱いたことは一度もない。何をしても否定されるか嘲笑されるか嫌味や皮肉を言われる日々から、ずっと逃れたかった。
だから、私は私を欲しがった某社長のところに逃げ込んだ。その社長は私のバイト先のお客さんだった。
誰でもよかった。とにかく実家ではない場所に行きたかった。その社長のことを、ほんの少しも好きではなかった。嫌悪感すら抱いていた。けれど実家から逃げたい一心で、私は社長のもとへ行ったのだった。
衣食住が保証された一人暮らしは快適だった。平日は、私が少しでも社会に触れていることを求めた社長に言われるがまま、彼が経営している会社で数時間だけ働いた。
それ以外は、社長から呼び出されたときだけ着飾って、食事や小旅行に出かける日々だった。呼び出しがなければ、本を読むかお風呂に入るか眠るかして、ただ怠惰に日々を空費していた。
虚無。ロイヤルブルーの地に金銀の糸で美しい刺繍が施されたふわふわのベッドに寝転がり、白い天井を見上げてその2文字をよく思い浮かべた。帰りたい。 
一人暮らしを始めてすぐの1ヶ月は、ただただ実家から逃げられた解放感でいっぱいだった。毎日が新鮮で、今まで握ったことも無い包丁を握って積極的に自炊などしてみた。一人しかいない空間で、好きなことを好きなようにできることが、無常の喜びだった。

「あなたを愛しているけれど所有しない」。彼の一言でわかったこと

けれど日々を過ごすうちに、なぜ実家から出たかったのか、わからなくなった。私を所有物として扱う社長への嫌悪感も日に日に増していった。
逃れたい。でもどこへ? 実家から逃げてきたばかりなのに? 私には経済力も何もない。逃げる場所なんてどこにもない。
考えはいつも堂々巡りで、思考を放棄するためにアルコールと睡眠薬を飲んで、覚めている時間を極限まで短くした。
そのとき付き合っていた人と会うときだけが、辛うじて生を実感できる瞬間だった。家にいるときも、会社にいるときも、社長といるときも、混濁した意識でほとんど死んだように存在していた。
思考の堂々巡りが終わったのは、付き合っていた彼と海辺の町へ旅行した夜だった。私は結局、誰からも所有されたくなかったのだ。
何かの拍子で「僕はあなたを愛しているけど所有しない」と彼が言い、それですべて腑に落ちたのだった。両親も社長も、みんな私を所有物のように扱った。それがたまらなく嫌で嫌で仕方なくて、逃げたかったのだ。

私を一人の人間として尊重してくれる両親のために、生きてみよう

逃げよう。決意をしたのはよいものの、逃げる前に私は生きる気力を失ってしまったのだった。ある日曜日の夜、彼と食事をした帰り、駅のホームでのできごとである。電車を待つ人々を見て思った。
「今日帰って眠ったらまた明日が来る。そして明日が来たらまた会社へ行って社長と会わないといけない。怖い」
急に現実に引き戻されて、たまらなく怖くなった。そのとき、静かに電車がホームへ滑り込んできた。電車の前に付いた、強烈なまでに明るい光に惹かれた。何も考えずに、その光の中に飛び込もうとして、腕を強く引かれた。振り返ったら、制服を着た駅員さんがいた。私はその場で泣き崩れた。何が悲しいのか分からなかった。
結局、そのあと私は一人暮らししていた家を引き払い(もとい父に引き払ってもらい)、実家に出戻った。散々に怒られると思っていたけれど、両親は私に何も言わなかった。
無謀で馬鹿なことをたくさんして帰ってきた私を受け入れて、私自身を見ようとしてくれている。もう所有物のように扱われることはない。
今、そうやって家族と過ごせている日々が、私はそれなりにしあわせである。豪奢な家具も贅の限りを尽くした食事も絢爛な宝石も衣装もないけれど、自分を一人の人間として尊重してくれる両親がいるから、私はまだ生きていられる。
ありがたいことだと思う。まだまだ死にたい私だけれど、これからは両親のために生きてみようと思った。