祖父が他界したのは、私が小学校に入学したばかりの5月だった。
祖父はとても誠実な人だった。料理が好きで、祖母と2人で小さな串カツ屋を営んでいた。私は父と母に連れられ、よく食べに行った。

決まってリクエストしていた五目豆煮。祖父が作る忘れられない味

お腹いっぱいになると、決まって厨房に入れてもらっていた。祖父に抱っこされながら店員さんのように振る舞い、常連さん達によく可愛がってもらっていたものだ。
当時3、4歳だったが、そのことは鮮明に覚えている。しかし、そこで食べた料理のことは正直、あまり覚えていない。私はチーズを揚げたものや、たらこを揚げたものが好きだったらしいが。厨房に入ることに夢中だったのだろう。
そんな祖父は家でもよく台所に立っていた。さまざまな料理を振舞ってくれた。その中に私が忘れられない味がある。五目豆煮だ。
祖父に「何か食べたいものある?」と聞かれると、決まってこれをリクエストしていた。「小学生にも満たない子供がそんな渋いものを食べていたのか」と今となっては私自身驚きだが、当時、私は本当にこれが好きだった。

祖父が亡くなって、五目豆煮を食べる機会がなくなった

祖父の家に夕食を食べに行くと決まってこれが出ていた。五目豆の他に人参、蓮根、こんにゃくが入っていた。少し甘めの味付けのごく一般的な五目豆煮。私はそれをチマチマと一粒ずつ食べるのが癖だった。
祖父の膝の上に座り、一心不乱に五目豆を食べる私に祖父は「美味しいか?」と聞き、まだ幼い口調で頬に手を当てながら「おいちー!」と答える。その時の祖父の優しい笑顔は忘れられない。祖父はいつも「よーさん食べてくれるから」とお皿から溢れんばかりの量を作ってくれていた。
そんな祖父は、私が小学校に入学してすぐの頃癌で亡くなった。その後、我が家の食卓には祖父の味を受け継いで母が作ったひじき煮や鳥肝が並ぶようになった。どれも祖父の味そのものだった。しかし、五目豆煮だけは絶対に食卓に並ばなかった。
ある日、母にその理由を聞くと、「五目豆煮だけは作り方知らんねん」と返ってきた。祖父が亡くなってからの数年間は母が作り方を知らなかったこともあり、五目豆煮は食卓にも出ず、食べる機会がなかった。

「祖父の五目豆煮」には、どんな魔法がかかっていたのだろう

しかし、ある日、母がなんの気まぐれかサイトで作り方を調べ、五目豆煮を作った。それを見た私は「久しぶりや!これ好きやってんなぁ」と嬉しくなった。
夕食の時間になりそれを一口食べる。私の口から出た感想は「なんか違う……」だった。
もちろん母が作ってくれた五目豆煮の味は、申し分なく美味しい。ただ、なにかが違かったのだ。その「なにか」の正体ははっきりしなかったが、その時私は気づいた。
私は「五目豆煮」が好きだったのではなく、「祖父の五目豆煮」が好きだったのだと。祖父の膝の上で食べていたあれが。
なぜ祖父が母に五目豆煮の作り方だけ伝えなかったのかは分からない。ただ、もう二度とあの味を食べることはできないんだと、私はそのとき改めて感じた。
一見どこにでもある普通の五目豆煮。それでも、祖父にしかその味は作り上げることができなかった。祖父はどんな魔法をかけていたのだろう。