「俺、これ嫌いなんだよね、まずいしー」
私が19歳の時、彼と別れようと決めた言葉だ。

かなりの偏食家。作るたびに細かい点を指摘し、レクチャーする

上京して初めて付き合った彼は、私とは傍目にも釣り合わない人だった。
彼は私よりずっと偏差値の高い大学にいて、実家もお金持ちで、就職したら年収もきっと私よりずっと高い。そんな人が私と付き合ってくれるのは奇跡だし、少しでも彼を繋ぎ止めるために、私の価値を証明しないと!と必死になった。

彼は彼女らしい(男をたて、家事が得意で尽くす)ことを求める人だった。
幸い私は料理は嫌いじゃないし、それなりに得意なつもりだったので手料理を頑張ることにした。
案の定、彼は私が手料理を作ると言うと、大喜びした。

しかし、これが思いの外大変だった。
彼はかなりの偏食家のうえ、作るたびに微妙な味の濃さや加熱具合、見た目の懲り具合を指摘され、次回までの改善点だとしたり顔でレクチャーされるのだ。

女優やタレントの、撮影用に作られた手料理。照明も映えも完璧なお洒落な手料理写真をあれこれ見せられ、これが目標だね!なんて具合に。
彼自身はアイロンがけもろくにできず、目玉焼きくらいしか作れないにもかかわらず。

おのれは女優と結婚する一般人男性(青年実業家)か?俺は将来女優と結婚し、映える手料理をネットに載せてもらえるくらいの価値ある男だ!とでも思っているのか?

バカなの?はこっちのセリフ。家までの道、だんだん涙が滲んで

そんな状態が半年ほどたったある日、彼が「もっとカラフルなお弁当にしてよ!」と宣った。
カラフル?何その無理難題。あなたの食べられる食材、白と茶色のものばかりなのに?
作る側の負担や気持ちなんて微塵も考えちゃいない態度に、頭の中がカッと熱くなる。

なんでそんなに偉そうなの?私より勉強ができるから?由緒正しいお家柄だから?都会に住んでるお金持ちだから?男だから?

もう、やけくそで弁当を作り、冷凍のミックスベジタブルをご飯の上に敷き詰めただけのお弁当を持っていった。ほら、カラフルでしょう?あなたのお望みどおりだよ?文句ある?カラフルにしろって言ったよね?

弁当を見た彼は一瞬ポカンとした後、「はっ?バカなの?そういう意味じゃないよね?俺、これ嫌いなんだよね、まずいしー」と吐き捨てた。

バカなの?はこっちのセリフ。カラフル弁当の意味が分かったうえでこれ作ったんだよ。冷凍食品は怠惰だと思ってるのも、野菜が嫌いなのも知ってる。1回くらい自分で作ってみなよ!

そう言ってやりたかったけど、結局「うん、ごめん、さよなら。もう2度と会わないね」と呟いて、急ぎ足で逃げ帰るのが精一杯だった。家までの道を急ぎながら、だんだん涙が滲んでくる…。

彼と別れてから、私は「まずい」「嫌い」という言葉に敏感になった

何度も何度も塗り直したネイル、アイロンで火傷しながらアレンジした髪の毛、何時間も探して悩んで買ったスカート、プチプラを何本も何色も買い揃えて練習したナチュラルメイク、本棚を占拠している大量のレシピ本…。
全部、彼に喜んでほしくて。可愛いね、素敵だね、って言ってほしくて。
ただただ彼の笑顔を見たかっただけなのに。
一人暮らしの狭い部屋の、隅々までが彼への思いにつながっていて、悲しくて惨めだった。
振ったのに、振られたみたい。

彼と別れてから、私は「まずい」「嫌い」という言葉に敏感になった。もう言われたくないし、言いたくもない。

「嫌い」じゃなくて「好きじゃない」。
「まずい」じゃなくて「美味しくない」と言う人に私はなりたい。
どちらも同じ意味ではないかと思われるだろうけど、今の私にとっては微妙な違いがある。
私には、嫌いもまずいも、どちらの言葉も相手や食べ物のことを全否定しているように感じるからだ。

好き!…とまでは言えないな、美味しい!…とまでは言えないな。私はね。
そんなちょっぴり曖昧な雰囲気を、例え本当にまずかったとしても、作ってくれた人の手間や思いを無視しないために、残しておきたい。この味嫌い!と思っても、周りで食べている人や、作ってくれた人の大好きな味かもしれない。

心の中でまずい、嫌い、と思ったとしても、口に出すときは美味しくない、好きじゃない、に変換していると、いつか苦手意識が薄れてくる気がする。

食べ物に対しても、人に対しても、それは同じなのではないだろうか。
今の私が人を好きになるときの条件、それは、「ありがとう」「ごちそうさま」を当たり前に言える人だ。

そんな人と、美味しいね!と笑いながら食事をしていたい。