私の両親は、新興宗教に入っている。その本部は地方の山奥にあって、年2回の大きめのお祭りのときだけ、私たち家族は車でそこまで旅をした。
真夜中のコンビニで家族で買いたいものを詰め込み、旅へ繰り出す
旅のお共は、母の作るおむすびと濃く煮出した番茶、前田のクラッカーとピュレグミ、私だけミルクティー。
スーパーとかコンビニとか、とにかくそこら辺のお店で買い集めて車に乗り込んだら、約7時間の車の旅が始まる。夜中に出て朝に到着するのがつねだったから、正直朝ごはん以外何も口にしなくて良いはずなのに、両親はなぜかいつも腹ぺこの私と弟を、道中にある真夜中のコンビニへと放った。
オレンジジュース、タピオカメロンオレ、裂きイカ、眠眠打破、鮭おにぎり、フルーツサンド、プリン、からあげ、白いたい焼き、缶コーヒー……。私たち姉弟は、普段買ってもらえないものを母のもつカゴの中に入れまくることに集中した。
母は夜が弱い人だから、寝ぼけ眼でなんだか分からず買ってくれていたが、父は逆に夜が強い人だからか、余計に何か珍しいものを意識的に買いたがった。そんなわけで、コンビニにしては信じられない額のお会計(7000円とか!)を経て、私たちは真夜中のハイウェイへと繰り出す。
今思えばトンチキな日常で、長旅の目的地は常に新興宗教の本部
私はボカロを大量に詰めたウォークマンで何十曲も耳横でミクちゃんの歌を流し、弟と母は眠り、父は中島みゆきのアルバムをセットしながら「なんで中島みゆきはベストアルバムを出さへんのやろな……」と呟く。
時折起きてくる弟はお菓子とジュースをねだっては母に叱られ、最後には「ねえちゃんばっかりずるい!ぼくも欲しいのに!」と悪態をついて再び眠りに落ちた。ついでだから書くと、私と弟はその頃ちょっとした肥満児で、母は私たちの姿を心配していた。
今思えば、そんな日常はトンチキだと思う。私は学校に行っておらず、母はマルチ商法にハマって変な水を買い、父は(ほぼ)ブラック企業で毎日クタクタになるまで働いていたあの頃、愛おしい日々とは言い難く、私たちの長旅の目的地は常に新興宗教の本部だった。
鮮明に覚えている夜々のきらきらしいコンビニの光。願わくばもう一度
今、私はその宗教と遠く隔たった場所で大学生として生活をしている。
宗教を巡っては、親と言い争い、泣いたり泣かせたりして、私たちは疲れてしまった。今は信教の自由を侵さないことを約束しているが、あれだけ従順だった弟は、私のたしなめにもかかわらず「なぜあんなものをやるのだ」と詰める。
両親は私たちが取りざたしているその間にも、幹部に昇進したり、逆にちょっと下がったりして忙しくしており、最近、本部には毎月乗合のバスで行くことになったと言う。
私と弟は痩せて、スラリとした両親と並べばもうあまりにも平凡な家族という具合である。
あぁ、私があそこに行くことはないし、行きたいと思うこともないだろう。しかし、あの夜々のきらきらしいコンビニの、高速道路に流れる常夜灯の、きびすに触るヘッドライトの光たちを、私は鮮明に覚えている。
そして時に、願わくばもう一度と、思わずにはいられない